How complicated is Thai local public transportation?−タイの現地の乗り物は難しいぞ!?


(タマサート大学王宮キャンパス、2016年3月6日)

 バンコクでは渋滞が激しいため、都内の移動は出来る限り電車(BTS, MRT)を使い、タクシーや送迎車を使うのを避けるのが一般的です。手っ取り早いのが、最寄り駅まで電車を使い、そこからモーターサイ(バイクタクシー)ですが、モーターサイは結構危ないです(学生には利用を避けるように伝えています)。しかし観光地の中には、電車が通っていない場所も未だ多く、そういう場所にはタクシーかバスの利用になります。

    
 (タマサート大学王宮キャンパス内)

 そのような観光地の中にあるのが、タマサート大学のタープラチャン(王宮)キャンパスです。知り合いの先生もここに通うのに苦労されています。私も何度も行く用事があるので、これまで様々な方法を試してみました。
 ①地下鉄で最寄駅フアランボーン駅まで行き、そこからタクシー(緊急時はモーターサイ、以下同じ)
 ②スカイトレインで最寄駅ナショナルスタジアム駅まで行き、そこからタクシー
 ③センセーブ運河西行きで西の終点パーンファーリーラート船着き場まで行き、そこからタクシー
 その他、冷房付きバス524番でのんびり移動や、①、②の最寄り駅を変えてなど。


 結果的には、③が最も早いのですが、しかし大学のある王宮周辺は超渋滞地域ですので、相当に余裕を見なければいけません。そこでタマサート大学の先生から、以前より薦められていたチャオプラヤ川を使った移動を試してみました。

    
 (左/タマサート大学をでてすぐ、右/船に乗った側から)

 タマサート大学の南側の門を出ると、目の前がプラチャン船着き場です。先生方が一旦対岸に行くとかおっしゃっていたので、どうやらこの船着き場にはチャオプラヤエクスプレスは停まらないようです。素直に渡し船に乗って対岸へ。

    
 (ドナドナ感を感じる渡し船…)

 対岸につきました。するとなんと素晴らしい。ローカル感と情緒あふれる、かつ活気のある街並みが広がっていました。

    
 (川を渡るとそこは人々の生活感を感じる場所でした。)

 軽く散歩をして、再びチャオプラヤエクスプレスを待ちます。待ちます…。あれ?来ない。どうやらこの船着き場も停まらないようです。近くの人に聞くと、川を渡れみたいなことを言います。それで「川を渡ってきたんだよ」と言うと、どうやら別の対岸を言います。「マハラート」といいますので、「プラチャン」ではない、ということは別の対岸に行くということですね。

 ちなみに最初、「マハラート」といわれても何のことかわからなかったのですが、どうやら"Maharaji"のことをそう読むようです。そういえばこの近くのホラースポット(といいますか、Siriraj Medical Museum)で有名な"Siriraji"病院は「シリラート」病院といいますね。

 というわけで再び対岸へ。ちなみに渡し船はそれぞれ3バーツ(10円程度)です。

    
 (渡し船を操縦する船長さん。ちょっと気になったので、スボンであることを確認^^)

 マハラート行きの渡し船で驚愕、セーラー服を着るおっさん、もとい船長さん。そうか、船乗りですからセーラー服で当たり前ですね。日本でおっさんが着ていると、怪しいコスプレの人になりますが。

    
 (ようやくチャオプラヤエクスプレスの目印、急行のオレンジ旗を発見)

 マハラート乗り場から無事にチャオプラヤエクスプレスに乗り、優雅な景色を眺めながら、スカイトレインのサパーンタクシン駅に到着です。

    
    
    
    

 ということで、慣れれば渋滞なしのこのルートが良さそうです。
 ④スカイトレインでサパーンタクシン駅まで行き、チャオプラヤエクスプレス。
当面は、③と④を比べてみたいと思います。

 セーラー服の船長さんが操縦する渡し船との合わせ技での移動など、船も少々ややこしいですが、バンコク都内の交通はまだまだ驚くべきといいますか、日本と感覚が異なるものがあります。例えば複数人数の利用であれば、タクシーが電車より断然安い場合が得てして多いです。

 その他には、ロットゥ(「四角い車」の意)といわれるハイエースでの移動です。日本でいえば、相乗りの、ルートが決まったジャンボタクシーです。高速道路を時速150kmぐらいで飛ばします。危ないです。

 タクシーは、乗車拒否は当たり前(乗車拒否は原則的にないとされる日本が逆におかしいのかも?)、メーターを回すのが原則ですが雨が降り出すと強気の交渉制に変わることもあります。また乗せるときは、行き先がわからなくても取りあえず客を乗せて走り出します。ある程度の場所まで行って、わからずに困ることも…。

 バスはのんびり走ります。冷房がかかったバスは、車掌に行き先を告げ、距離に応じた料金を請求されるものの、これが意外に同じ場所で乗り降りしても、日によって価格が微妙に異なります。路線バスには時刻表がないのですが、全然来ない時もあれば、3〜4台同じ番号のバスが来たりします。無料バスは廃止になるといわれつつ、本日現在まだ走っていますし、その他にも以下のように何かが違います。

    
 (左/走行中ですが、メーターが0。右/床は板1枚、その下の道路が見えます。)
    
 (お、運転手さん、新聞を日よけにでも使うのかな?って、渋滞に飽きて新聞を読みだします。)

 この国にいると、仕事が立て込んでいても、こういう光景は心が和み、どこかゆとりをもって過ごすことができます。これもタイの魅力ですね。

 2月中旬から何だかんだでもう3週間、あと1週間で再び日本に帰国です。花粉との闘いも待っています(^^;;

LEGO enable students to become the critical thinkers and creators of the future. - 教育への応用可能性は様々!

 大学教員の中もLEGOによる教育ファシリテーターの資格をとる人が増えているようです。私の知り合いにそういう人が多いだけかもしれませんが、何人かこの資格を持っています。私も時間が許せばぜひ取りに行きたいところです。

 昨日は共通教育「現代社会とキャリア・アントレプレナーシップ」の試験日でした。この科目の評価に対する思いは、昨日、Facebookのほうに長々と連ねたので、それはさておき、外国人の先生による結果が出ました。

 今年のこの科目は、産業界の方々による評価が50%(既に1ヶ月半のプロジェクトを通し評価を頂きました)と昨日の試験の評価が50%、あとは若干の授業点で構成されます。

 昨日、教室に入り黒板に「筆記試験70点、実技試験30点」と書くと、「実技試験って何だ?」という反応が…。この科目は、協調性と創造性、国際性も養うことを目指しています。ということでお題は「外国人から評価されるとして『誇りある私たちの日本』をテーマに6名1グループで583ピース÷2のLEGOピースを使い、30分でモノを作って下さい。」というものです。

 1人で作るなら簡単なのです。要は作られた作品ではなく、そのプロセスが重要です。まずは約70名を6グループに分けます。その約12名で構成される各グループに583ピースのLEGOピースを渡します。さらに自分たちで6名ずつの2チームに分かれてもらい、そのLEGOの資源を2チームで分け合います。そして作るものをチームで合意して決め、作品を完成させるという手順を踏みます。15分経っても、まだ何も作れていないチームが結構いました。

 もちろんこの試験は、授業で実施したマシュマロチャレンジでの学びの一部を活用してほしいとの想いからです。反復型プロセスという要素の再現は出来ませんでしたが、マシュマロチャレンジの反省を活かして、上手く作ったチームがいました。

 以下が結果発表です。お疲れ様でした。知り合いのタイ人の先生に写真を送り、1番から12番まで順位をつけていただきました。

    
 (左が1番、右が2番とのことです。富士山が決め手でしょうか?)
    
 (左が3番、花火ですね。右が4番、私としては一番のお気に入りですが、桜ですね!)

 今回は30分という限られた時間で、しかも試験ですので、これ以上のLEGOの応用は出来ませんでしたが、時間をとれば様々な学習が出来ます。特にLEGOに限りませんが、エデュトイには創造力や問題解決スキルの学習の応用要素が存在するものが多く存在します。

 別の話になりますが、先月、うちの娘にウサ公を追加で買ってみました。まずはパパセットとお風呂です。
 
(家具を追加すると、この家が狭くなりました。)

    
 (結構、リアルに作られていて、驚きです。)

 喜んでくれたようです。しかし「パパウサギだけ?」といういう不満が娘からではなく家庭内の某所から出たため、ママセットは豪華なほうを…。そして弟のウサ公を、これで全部揃いました(汗
 
    
 (ウサ公一家がそろったのですが、細かいパーツが多すぎです…。)

Definition of minus - そのマイナスの意味は確かにセルシウス度の話とは違いますが…

 先月末に、日銀の追加金融緩和策でマイナス金利が発表されました。未だに賛否が話題になっているようです。影響についても様々に憶測は述べられています。すべての政策にとって直接的な影響は明白なものの(ここは明白でなければ政策と言わないですね)、間接的な波及効果は予想がつきにくく、想定外はつきものです。

 ただ期待に似た憶測が広まるのは怖いですね。「マイナス金利が原因でアベノミクスが崩壊した」「マイナス金利というアベノミクスの政策が株価を下落させた」という某メディアの報道には、怖いというよりもう呆れます。マイナス金利の導入で日本の株式市場だけが下げたのではなく、米国金利上昇、原油安、中国経済などを原因とする世界同時株安が起こっています。同時にそれらの要因から、相対的に比較的「安全」とされる日本に対する資金の移動、つまり円買いによる円高が加わり、日本の競争力低下の懸念から日本の株価下落が起こっています(なお円高を悪者のように言いますが、円高に振れたことは相対的な日本の評価の証です)。マイナス金利導入とどう結び付けて、アベノミクスの失敗や株価下落といえるのか神経を疑います。

 ともあれ話を戻します。マイナス金利の導入により「他の金利も下がるのでは?」と考えるのはまだ現実的な線です。しかし果てには「個人が銀行からお金を借りれば、逆に利子がもらえるのでは?」という戯言もあるようです。それは政策側と銀行が相当に追い込まれた場合の可能性として0とはいわないですが…、今のところはまずないでしょう(笑)。

 マイナス金利そのものは決して難しくなく、報道の通り、銀行が日銀に預けるお金の一部の金利がマイナスになるということだけです。つまり銀行はこれまで日銀からもらうことのできた金利分および支払う金利分だけ収益が下がります。普通に考えれば、個人が銀行からお金を借りると、利子がもらえるなんていうことになれば、銀行は余計に収益が悪化します。よってその可能性は低いわけです。むしろ日銀から取れなくなった利子を取り戻そうとするでしょう。
 ①個人から取り戻そうと考え、むしろ貸出金利を上げようとするかもしれません。
 ②銀行から出ていく個人への預金利子分を抑えるため、個人から預かったお金の預金金利を下げるかも知れません。(ここは想定通りですね)
 ③やはり個人から取り戻そうと、銀行のその他のサービス、代表的なのがATM手数料ですが、その価格を上げるかもしれません。
 このように考えると、マイナス金利はいいのか悪いのかと、その影響を疑問視しますね。ただもちろん国の思惑のとおり、銀行としては日銀にマイナス金利分を払うのを避けるため、優良な貸出先やこれまで「微妙〜」と思っていた貸出先には、積極的にお金を貸そうとするインセンティブは働くでしょう。しかし「微妙〜」を超えるとありえないわけで、つまり貸し出しにも限度があって、貸し倒れになるところにお金を貸して大損は出したくありません。それならまだ日銀にマイナス金利分を払っていた方がいいわけです。要は比較の問題ですね。

 比較の問題でいえば、こうも考えられますね。「微妙〜」な企業にもすべて貸し、どうにもこうにも貸出先がなくなった場合です。もちろん、その時には考えられる運用先のリスクも「微妙〜」なところまで、全て買い漁ってということになります。

 つまり「微妙〜」なところに手当たり次第当たって、日銀に0.1%の金利を払ってでも預けなければいけなくなった場合、その時には個人の住宅ローンなど、回収の可能性が高いところには0.1%未満の金利を「つけて」貸してくれるかもしれません。比較の問題ですから、日銀に払うか個人の貸付先に払うかの問題なわけです。

 ですので、賛否どうこうというより、銀行員が融資先を見る目があり、国民が正しい金融リテラシーを備えている限りにおいては、そうそう経済が混乱することはないわけです。この前提が問題ではありますが…。

 ついでに触れると、もしかすると私たちの生活レベルでは、実は既にマイナス金利になっているかもしれませんよ。経済学の初歩を少しかじっていれば気づくことですが、名目金利はマイナスではないにせよ、物価上昇率(下落率)を加味した実質金利でということです。デフレが進行していたとすれば、日常生活レベルで実質金利ではマイナス金利という場面が、これまでにあったのかもしれません。逆に名目金利以上に物価上昇率が高ければ、銀行にお金を預けていても相対的に資産減少していますから、この場合もマイナスですよね。

 マイナス金利と騒ぎますが、要はこれだけのことです。何かの基準にこだわるのではなく、常に基準に対しても客観性ももって捉えるよう心掛けていれば、世の中には、「何を騒いでいるのだろう?」と思うことが多いものです。

 確かに、当地の気温が3℃からマイナス1℃になるという話(これは水の融点を0℃にした融点と沸点との間を100等分した間隔の増減のセルシウス度の話)と、受け取る・渡すという正反対の意味をもつプラス0.1%とマイナス0.1%という話(こちらは0を基準に反対の意味をもつという話)では、議論するレベルは違いますけどね。

 今日、ようやく一瞬ですが仕事が一段落しました。まだ溜まっているものは多いのですが…。もう2月の中旬ですね。もうすぐタイです(^−^)ノ

    
 (今年のしろたんカレンダーは旅行シリーズのようです。1月は日本からスタート。)
    
 (2月はベルギーのようです。)

Our town needs stirring up. I'm happy as long as I stay near the liveliest market. - 新年初ブログということで、日本の残念な起業政策について


国鉄チェンマイ駅と市中心部との間にある昔ながらの超巨大なタラート・ソンバクホーイ)

 主に連休を利用しての強行軍、タイ国チェンマイのとんぼ帰りです。これだけタイであちこちに行っている私も、実はチェンマイはこれまで通過のみで、じっくりと旅行も調査もしたことがありません。そのようなわけで、僅かな時間ですが、Travellingapplesのサイトに出ている"13 great markets to visit in Chiang Mai"を一つでも多く見て回りたいと思いました。

 なにせ"Chiang Mai should be known as Thailand’s market capital as there are hundreds scattered throughout the city. "とか、"You have not explored Chiang Mai until you have visited at least two or three markets!"とまで宣われては、チェンマイ抜きで、ちまちまバンコク近郊や地方都市だけを調査しているわけにはいきません(笑)

1.The Night Bazaar
2.Anusarn Night Market
3.Kalare Night Market
4.Sunday Walking Street Market
5.Saturday Walking Street Market
6.Chang Puak North Gate Market
7.Second Hand Market
8.Warorot Market
9.Muang Mai Market
10.Ton Lam Yai Market
11.Kamthieng Market
12.Somphet Market
13.Chiang Mai South Gate Market

 その13の市場は上記のようです。1番目の"The Night Bazaar"は「地球の歩き方」等でも一押しのようですが、実際は人がまばらで、閉店も多かったです。流行り廃りでしょうかね。最新の情報をよろしくお願いします(笑)。

    
 ("The Night Bazaar"の近くの道には人通りが多いものの…)

 その向かいにある"Kalare Night Market"は、それなりに外国人等で賑わっていました。野暮な結論ですので敢えて書きませんが、その要因もわかりやすく良い事例です。おそらく多くの方がそれぞれを見て比較してみるだけで、その流行り廃りの理由がすぐにわかります。

    
 (観光向けの"Kalare Night Market")

 日本のように革新先導型といわれる成熟した経済では、企業化された主体に収束されていく傍ら、個人事業主型の従来のマーケットが必然的に廃れます。しかしタイでは未だ効率先導型といわれる経済の途上にあり、まだ郊外では市場の活気が健在です。

 その確認には、観光向けのマーケットではなく、ローカルなマーケットを見なければなりません。"Warorot Market"(Kat Luang)などはどちらかというとその部類なのですが、それでも観光雑誌などに紹介されており、少々求めるものとずれてきます。

    
 (おなじみの"Warorot Market"(Kat Luang)は、現地民も観光客も入り乱れ状態です。)

 上記の中で、"Ton Lam Yai Market"や"Kamthieng Market"は、観光雑誌にはあまり出てこないのか、比較的外国人は少なかったのですが、花や植木を扱っていたという点で興味深かったです。

    
 ("Ton Lam Yai Market"は"Warorot Market"(Kat Luang)から案内がでているので、外国人には導線上になります。)

    
 (そこそこいい感じのローカルさを出していた、中心地から北東にある"Kamthieng Flower Market"、広大な植木のテーマパークのようです。時間がなくじっくり見ることができなくて残念。)

 よりローカルな毛色の強いものはないかと探していると、さすがはマーケットの街、ガイドブック等には出てこない、しかし昔ながらの超巨大マーケットがありました。タラート・ソンバクホーイというようです。

    
 (大通りから行くと入り口が小さく、よくわかりません。)
    
 (しかし中に入るや否や、巨大なマーケットが広がります。)
    
 (私も最初は裏側の道から発見しました。)
    
 (100円ほどで、カットされたマンゴーを食べます。タイでマンゴーをいやほど食べるこのひと時も幸せ。元気回復です。)

 こんな市場が家の横にあったら幸せ♬ですね。安いとか、美味しいとかに加え、何でも揃う安心感があります。私が市場好きというだけかもしれませんが…。

 この裏の斜め向かいにもう一つ中規模な市場があります。時間が遅いのか、廃れてしまったのか、ほとんどのお店が閉店状態でした。市場の名前を聞くために、入口のお店のおっちゃんからレッドブルを購入して、「タラート、チュー、アライ?」と問うと、こちらは「タラート・ゴーカム」と教えてくれました。なぜか繰り返し、2回目は雄たけび状態でした。もっと活性化してほしい想いがあったのかもしれません。

    
 (道に面した左隅のお店でレッドブルを買い、市場の名前を聞いてみました。)

 その他、観光系のマーケットにも興味がないわけではないのですが、あえて挙げるならチェンマイ近郊の少数民族であるモン族のマーケットです。福井県の場合は産直野菜等ですのでややずれますが、近隣町村が福井市のショッピングモールに販売出張所を置いているイメージでしょうか。しかし観光系であっても、地産外消は日本の社会的課題である地域創生に欠かせないテーマですから、参考になります。

    
 (モン族のマーケットは"Warorot Market"(Kat Luang)の近くの小道を入った奥まったところにあります。)

 ここからは本人(私)以外はさほど面白いものでもない話ですが、市場と起業の接点を、わかりやすいレベルで少々…。個人事業をはじめるという短絡的な切り口も全くないわけではないですが(そういう研究をされている方もいらっしゃるので、それはそれで私が気づいていない視点があるのだと思います)、私の場合をもう少し正確に述べると、冒頭の「その国の経済が何に先導されているか」ということに関わります。これを政策に結び付けると、単に起業を増やそうとする現在の一部の政策助成に対する警鐘を主張せねばなりません。

 日本のような革新先導型のような国において、中進国経済をけん引する効率先導型のようなお店の増加策が果たして有効なのか?ということです。

 経済政策視点でいえば、革新主導型経済では小資本の(個々の事業主が集積する市場のような)形から、大資本化(企業化)された形態へと移行しつつあります。するとそれに見合った革新的形態の起業への助成が効果が高いのは必然です。革新的とは技術を中心とした製造業に限りません。サービス業でも様々な革新が日々生まれます。単に個人を起業させて、競争を増やすだけの政策は、全体経済としての拡大効果が存在せず、極論すれば税金の無駄です。ミクロ経済学の基本中の基本ですが、既存の市場に余剰利益が存在すれば、そこへの参入は自然発生的に生まれ、パイの奪い合いとなります。経済の非専攻の学生ならともかく、時々、こんなことすらわからないのかと、コンテスト等の審査員の中にも呆れる方がいます(それが学生にやる気を与えるとか、きっかけを作るという教育的な視点なら理解できるのですが)。

 呆れるというのは知らないということに対してではなく、また決して個人事業を起こすことを否定しているのでもありません。税金の使途を決める立場が適当な仕事をしてどうする…という別の議論です。

 教育政策視点で見てみましょう。教育的効果があるからと言えば、逃げのような形で言い訳が立つわけでもありません。当然、その質が問われます。高度経済成長時代の日本の教育は、欧米に対するキャッチアップ型の教育政策が有効でした。ですから暗記中心の受験スタイルは間違いではなかったのです。暗記型の受験がどうこうと、過去を非難する人がいますが、昔は東大は暗記で入れる時代でよかったわけです。

 しかしそれを90年代以降も続けた結果、日本はどうなりましたか?起業率が低迷し、開業率が廃業率を下回り、経済成長は完全にストップしました。教育政策での問題は、少なくとも90年代に暗記型から脱却しておくべきでした。その中でも一部の大学等では論文等の比重を高めたりといった工夫はありましたし、どことは明言しませんが、実際にそれらの中の一部の大学では卒業生が明らかに成果を出しています。昨今、センター試験が変わるという話は、ようやくといった感じですね。

 大学での起業教育でも、海外に倣うみたいなキャッチアップ型を行おうという姿勢が大勢を占めている気がします。その部分は日本が遅れているので、今は正しいのかもしれません。しかし次のステップは、わが国独自の内と外からの気づきの創出でしょう。つまりアイデンティティを軸としたグローバルとローカルのアントレプレナーシップ教育です(アイデンティティ教育を抜きにしたグローバルとローカルの教育をやると、宇宙人がたくさん生まれてしまうので要注意です)。

 ともあれ、このように中進国の経済、特に身近な起業をみつめると、わが国への政策示唆が明確になってきます。私の起業に関する研究スタイルが、従来の経済学や経営学とは異なる、フィールド立脚型の政策科学であるという特徴でもあります。

 年末にバンコクではお馴染みのフリーペーパー「DACO」さんが、私の記事を掲載してくださいました。WEBでも見ることができるようになりましたので、リンクを貼っておきます。一般向けの読み物ですので、深入りはしていませんが、先進国と中進国の比較において、起業という視点から経済をみると、わが国が経済成長と引き換えに失ってしまったものや、今後の政策への示唆が見えてきます。

 リンク:【第14回】起業準備率にみるタイ女 DACO 2015年12月20日

 私が今回の記事で伝えたい意図は、女性に対する起業支援が日本の伸びしろであるということよりは、むしろ日本の今の政策では失敗の可能性があるということです。女性が活躍できる社会づくりから始めないと、ただの数値目標で終わってしまいます(既に一部の領域では数値撤回が出ていますが)。

 またそれでも無理繰りに女性を登用してしまえば、受け入れる社会がついていかず、成果としては失敗となり、「やっぱり(女性は)ダメじゃん」みたいな間違った結論を導きかねません。そもそも人を登用するには、相応の経験も必要です。女性に活躍して欲しいなら、女性が「やりたい!」って思う社会と制度、そして男性を含めた社会全体の気づき(変革)と、経験を積むチャンスの創出が不可欠です。今の日本の社会、小さな子どもをもつ女性に「フルタイムでバリバリ活躍していいよ。」なんて笛を吹いても、誰が踊りますか?無茶な話です。票を集める目的だけならともかく、本気でこの国を変える気があるなら、政治に綺麗ごとは要りません。

 一度、記事を読んでいただいた方も、この視点を含んでいただいた上で、下のグラフも参照しながら、読み直していただけると嬉しいです。なんとなく私がやっている種々のテーマが、根の部分で政策につながっていることもわかっていただけると思います。


(男女の起業準備率の違い。ポイントはタイが高いということではなく、タイでは男女間にほとんど差がないということ。引用:米国バブソン大学、2014年度 GEM DATA)

Let's play together everyone! - シルバニアファミリーは大人でもはまる?


(「はじめてのシルバニアのおうち」に勝手にちょこっとトッピング)

 年末は金融に関する新しいオンラインゲームの製作に時間を取られ、29日も気が付けば25時頃まで大学にいました。そんな中、ふと我に返り、「もう午前様だ、そろそろ帰ろう。」ということで、ボーっと考えごとをしながら家への帰路につきました。何を考えていたかというと、先日娘に贈ったクリスマスプレゼントが、果たしてウサ公でよかったのかどうかということです(サンタクロースが持ってきたことにしているが、3歳になったばかりの娘は、まだよく理解していないらしい)。
 当初は「ただ遊ぶだけのものより、何か学びになるゲームのようなものを」と思い、知育的なおもちゃを探していたのですが、お店には数多く並んでいるものの、いまひとつピンと来ないものです。実際におもちゃの前提として「夢中になる」ことが大切だと思っていますし、それを高めるのがいわゆる「ゲーム性の4要素」です。自身が経済教育に関するシリアスゲームを考える時に重視しているので、ついそのような厳しい視点で見てしまいます。そして探しているうちに、いつもいつの間にか、子供たちのプレゼント探しより自分の研究のほうに思考が移ってしまっています。そんなことでいつまでたっても決まらないので、今回はあえて「教育という要素を抜きにして、何がよかろうか?」と考えました。
 先日12月上旬のタイ出張で、なにか怪しげな「うさぎや」というものをバンコクの地下街でみて(実際には怪しくなく、ちゃんと正規品を扱っているお店のようです)、「やはり、これか!」ということになり、「はじめてのシルバニアファミリーセット」に決定した次第です。
    
 (バンコクの地下街で日本語で「ウサギヤ」と書かれていたので、気になってよく見ると、シルバニアショップでした。)
 確かに3歳なりたてにしては、少し早かったかもしれません。食いつきはそこそこです。また「はじめての」というだけあり、ウサ公1匹と、2階建てのシンプルな家と、サービスアパートメントにあるような基本的な家具一式だけでした。
 そこで、今日は娘と一緒に駅まで出て、AOSSAの中にあるSeriaという100円ショップに入った時に見つけた雑貨を追加してみました。
 家があれば庭は必須というということで人工芝を、庭があれば木ということでヤシの木を、庭にはバケツとシャベル、野外のBBQセットも必要でと結構使えそうなものを10点ほど購入。なかなかサマになってきたような気がします。ふと気づけば、娘より私がはまっている予感です。
 ともあれ、買ってみて感じたのが、知育教材もいいけれど、そもそもの想像力や協調性といった基本的な学びはその前提として大切で、その方法は難しく考える必要がないのかもしれないということです。こういう長く親しまれてきたごっこ遊びというのでしょうか?このようなものを見失ってはいけませんね。
 結構、幼い頃から勉強をさせる家庭も多いようで、もちろん否定はしません。私も知育系のおもちゃのほうがいいかなと思っていたのですが、このウサ公を眺めていると、そういうものは学校に行き始めてからでいいのでは、その前に学ばねばならないものも多いだろうと考えるようになりました。

 LEGO社のブロックをはじめとして、近年では日本の大学教育も、おもちゃやゲームの利用は増えてきています。私の授業でも、オンラインゲームやボードゲームなどを時折使うのですが、目的意識をもって利用すると、それは既にゲームと教材の境がなくなっています。
 このシリアスゲームという研究分野、私は今は経済教育に特化して追求していますが、余裕が出来ればゲームだけでなくトイ(おもちゃ)など、また学びだけでなく社会に役立つものなど、もう少し範囲を広げてみたいと思っています。

True news like a joke in Thailand−タイ警察からのお年玉!?


(先日のバンコクの風景、2015年12月)

 「国が変われば、習慣も考え方も変わります。違和感を感じても、日本式でものを考えてはいけません。相手を尊重し慮ることが、グローバル化の前提です」と、いつも授業で述べています。だからこそ「柔軟なものの考え方が、(これからの日本にとって欠かせないグローバルな産業人材育成としての)アントレプレナーシップ教育には大切である」と思っています。

 そういう私も以下のタイのニュースは、一瞬「ちょ!それ、ちゃうやろ?」と思ってしまいました。

"Traffic Fines Reduced to 100 Baht as ‘New Year Gift’
BANGKOK — 88 police stations in Bangkok will reduce traffic tickets to 100 baht starting today until next month."
(出所:http://www.khaosodenglish.com/detail.php?newsid=1450786935

 記事が出た12月22日(昨日)から来月(正確には1月15日)まで、バンコク都内の88の警察署では、「新年の贈り物」として交通違反の罰金が100baht(330円ぐらい)に減額されるそうです。

 この見出しだけ読むと、「なんじゃそりゃ?」ですが、よくよく記事を読み進めると、"the promotion is meant to clear a massive backlog of overdue fines."とのこと、なるほど、これも考え方だなと感じました。期限切れの罰金の大量のログを整理する目的があるようです。効率性を重視していますね。

 タイの国民性として、"Under Thai traffic laws, motorists are expected to pay fines within seven days, and driving licenses cannot be renewed unless all fines have been paid first. However, since there is no serious repercussion for overdue fines, many motorists simply chose not to pay the fines for months, if not years."とのことで、罰金を1週間以内に納付しない人が多いようです。

 弁護士らは反対意見を述べているようですが…。"Although some lawyers said this project would encourage people to commit more crimes, Sanit argued that police will still punish those who break traffic laws anyway."ということですから、警察側のサニット氏も、もっともな意見を述べていますね。弁護士らがいうように交通違反を助長しそうなきがしますが、サニット氏の反論のように罰則がなくなるわけではありません。100bahtといえども、罰金を払いたい人はいないでしょうからね。

 社会現象において、往々にして、弁護士らによる感情論的な意見と、学者らによる理論が対立することがあるように思います。どちらが絶対ということはないのですが、敢えて言うなら、前者は人間の思考の限界の本質をとらえていて、後者は冷静な判断に基づいています。

 つまり前者と後者の差は、行動経済学では計算コストというものでとらえる、限定合理性の理論になります。人間は合理性を選好するけれども、その計算には限界があり、その結果、コンピュータのような完璧な行動をしないといえばわかりやすいでしょうか。

 なお、人間の経済行動の合理性の限界については、アレ(Allais)の期待効用に関するパラドックスなどが代表的です。

    
 (左はチャンカセム・ラチャパット大学前の道路、渋滞ポイントなのですが、片側は綺麗に車がいない。するとその後、警察護衛車が通り、その間に偉い人の車があった様子。この間、大学に入るための歩道橋も通行禁止だった。右は、普段のよくあるバンコク市街の渋滞。)

To be honest, its taste is first experience, but if I have to tell the similar taste, it's a cross between apple and pear. - インドナツメの味を敢えて表現するならリンゴと梨を足して2で割った感じ。


(チェックイン後のウェルカムフルーツが「ナツメ」だった!)

 9月末以来のタイです。何が恋しいかというと、タイ料理のイサン地方によくある酸味と辛み(と香草で無理に上書き消しされてもまだ臭みがある)の本場の味です。日本のタイ料理店では、日本人が食べやすいように、癖の部分は少なからずアレンジされていますので、こっちにこないと出会えません(^^。

 最初、私もイサン地方で食べた時は「なんじゃこりゃ」という感じで、暫らく慣れなかったのですが、慣れたといいますか、中毒といいますか、何度か食べているうちに、これが恋しくなるものです。

 ということで、それらしき屋台をみつけて68baht(250円ぐらい)で買ってきました。バンコクの住宅街の屋台も、物価上昇の波が来ていますね…。

    
 (左が合わせて68baht、右はよくある豚肉串焼き屋台のもので1つ10baht、4つ40baht。今日の夕食は20bahtの飲み物を合わせ128baht(400円ちょっと)です。というか肉だらけで、野菜がないですね…。)

 この左の写真の左上の袋に入ったもの、20bahtなのですが、これがタイ独特の味で、肉ミンチに香草で臭みを消した酸味と辛みのある炒め物です。パッサパサのタイ米にかけて(イサンだともち米のお供として)食べます。鶏の丸焼きは意外にも高いです。

 食後の果物に、部屋にウェルカムフルーツとして置かれていたインドナツメを頂きます。最初は「ん?トマト?」と思ったのですが、かじってみると果物、リンゴと梨を足して2で割った味です。これはナツメ(タイ語でプッサー)ですね。とても美味しいです。

 ナツメというと、福井市の海側が特産の日本ナツメを思い出すのですが、日本ナツメが赤くて小ぶりなのに対し、タイにあるインドナツメは普通のトマトサイズ。皮も柔らかめなので、トマトと間違えます。ナツメはそのまま食べる分には、こちらのほうがいいかもしれません。福井のナツメは干したりして頂くと、それはそれで美味しくて健康にいいのですが。

 価格の絶対値比較では、タイは果物が驚くほど安いです。しかし例えばイチゴに代表されるように、日本のものと比べると、小さくて酸っぱいため値段相応です。私的には価格的には少々高くても日本のイチゴを選択します。実際に街なかのタイのお店では、イチゴをはじめ、日本の高級フルーツが売れているようです。

 もう一つ、イチゴと同様に私が一押ししたい日本の果物は、みかんです。今年もそのシーズンがやってきました。先日、わが家に届いたばかりのブランドみかんは、日本の四季のおかげでしょうか、皮が薄くて、とても甘いです!

 タイのみかんも確かに絞ったジュースなどは美味しいです。しかしそのまま食べる分には、日本のものにかないません。皮が太くて固い、糖度が低いという違いがあります。日本のみかんももちろんピンキリですが、高い部類はタイでいけそうな気がします。

 もちろん輸出品ですから、イチゴに限らず、日本よりさらに高い値段がついています。しかしそれでも一部のタイ人は買っていますね…。やはり味がいいというのと、日本というと高品質というブランドイメージもあるようです。このブランドを作り上げてくれた先人に感謝です。

 日本の高品質というと、まず自動車や電化製品を思い浮かべます。しかし同じ高品質のモノづくりでは、農業もあります。忘れてはいけませんね。

 グローバル化は、世界の格差を徐々になくし、究極的には世界を均一化するとされます。確かに労働力の移動もさることながら、国レベルでのGDP差もボトムアップの形で縮小してきています。しかし気候差は、今のところ同じにはなりません。グローバル化で変わるものと変わらないもの、そこの見極めにビジネスチャンスがありそうです。