Our town needs stirring up. I'm happy as long as I stay near the liveliest market. - 新年初ブログということで、日本の残念な起業政策について


国鉄チェンマイ駅と市中心部との間にある昔ながらの超巨大なタラート・ソンバクホーイ)

 主に連休を利用しての強行軍、タイ国チェンマイのとんぼ帰りです。これだけタイであちこちに行っている私も、実はチェンマイはこれまで通過のみで、じっくりと旅行も調査もしたことがありません。そのようなわけで、僅かな時間ですが、Travellingapplesのサイトに出ている"13 great markets to visit in Chiang Mai"を一つでも多く見て回りたいと思いました。

 なにせ"Chiang Mai should be known as Thailand’s market capital as there are hundreds scattered throughout the city. "とか、"You have not explored Chiang Mai until you have visited at least two or three markets!"とまで宣われては、チェンマイ抜きで、ちまちまバンコク近郊や地方都市だけを調査しているわけにはいきません(笑)

1.The Night Bazaar
2.Anusarn Night Market
3.Kalare Night Market
4.Sunday Walking Street Market
5.Saturday Walking Street Market
6.Chang Puak North Gate Market
7.Second Hand Market
8.Warorot Market
9.Muang Mai Market
10.Ton Lam Yai Market
11.Kamthieng Market
12.Somphet Market
13.Chiang Mai South Gate Market

 その13の市場は上記のようです。1番目の"The Night Bazaar"は「地球の歩き方」等でも一押しのようですが、実際は人がまばらで、閉店も多かったです。流行り廃りでしょうかね。最新の情報をよろしくお願いします(笑)。

    
 ("The Night Bazaar"の近くの道には人通りが多いものの…)

 その向かいにある"Kalare Night Market"は、それなりに外国人等で賑わっていました。野暮な結論ですので敢えて書きませんが、その要因もわかりやすく良い事例です。おそらく多くの方がそれぞれを見て比較してみるだけで、その流行り廃りの理由がすぐにわかります。

    
 (観光向けの"Kalare Night Market")

 日本のように革新先導型といわれる成熟した経済では、企業化された主体に収束されていく傍ら、個人事業主型の従来のマーケットが必然的に廃れます。しかしタイでは未だ効率先導型といわれる経済の途上にあり、まだ郊外では市場の活気が健在です。

 その確認には、観光向けのマーケットではなく、ローカルなマーケットを見なければなりません。"Warorot Market"(Kat Luang)などはどちらかというとその部類なのですが、それでも観光雑誌などに紹介されており、少々求めるものとずれてきます。

    
 (おなじみの"Warorot Market"(Kat Luang)は、現地民も観光客も入り乱れ状態です。)

 上記の中で、"Ton Lam Yai Market"や"Kamthieng Market"は、観光雑誌にはあまり出てこないのか、比較的外国人は少なかったのですが、花や植木を扱っていたという点で興味深かったです。

    
 ("Ton Lam Yai Market"は"Warorot Market"(Kat Luang)から案内がでているので、外国人には導線上になります。)

    
 (そこそこいい感じのローカルさを出していた、中心地から北東にある"Kamthieng Flower Market"、広大な植木のテーマパークのようです。時間がなくじっくり見ることができなくて残念。)

 よりローカルな毛色の強いものはないかと探していると、さすがはマーケットの街、ガイドブック等には出てこない、しかし昔ながらの超巨大マーケットがありました。タラート・ソンバクホーイというようです。

    
 (大通りから行くと入り口が小さく、よくわかりません。)
    
 (しかし中に入るや否や、巨大なマーケットが広がります。)
    
 (私も最初は裏側の道から発見しました。)
    
 (100円ほどで、カットされたマンゴーを食べます。タイでマンゴーをいやほど食べるこのひと時も幸せ。元気回復です。)

 こんな市場が家の横にあったら幸せ♬ですね。安いとか、美味しいとかに加え、何でも揃う安心感があります。私が市場好きというだけかもしれませんが…。

 この裏の斜め向かいにもう一つ中規模な市場があります。時間が遅いのか、廃れてしまったのか、ほとんどのお店が閉店状態でした。市場の名前を聞くために、入口のお店のおっちゃんからレッドブルを購入して、「タラート、チュー、アライ?」と問うと、こちらは「タラート・ゴーカム」と教えてくれました。なぜか繰り返し、2回目は雄たけび状態でした。もっと活性化してほしい想いがあったのかもしれません。

    
 (道に面した左隅のお店でレッドブルを買い、市場の名前を聞いてみました。)

 その他、観光系のマーケットにも興味がないわけではないのですが、あえて挙げるならチェンマイ近郊の少数民族であるモン族のマーケットです。福井県の場合は産直野菜等ですのでややずれますが、近隣町村が福井市のショッピングモールに販売出張所を置いているイメージでしょうか。しかし観光系であっても、地産外消は日本の社会的課題である地域創生に欠かせないテーマですから、参考になります。

    
 (モン族のマーケットは"Warorot Market"(Kat Luang)の近くの小道を入った奥まったところにあります。)

 ここからは本人(私)以外はさほど面白いものでもない話ですが、市場と起業の接点を、わかりやすいレベルで少々…。個人事業をはじめるという短絡的な切り口も全くないわけではないですが(そういう研究をされている方もいらっしゃるので、それはそれで私が気づいていない視点があるのだと思います)、私の場合をもう少し正確に述べると、冒頭の「その国の経済が何に先導されているか」ということに関わります。これを政策に結び付けると、単に起業を増やそうとする現在の一部の政策助成に対する警鐘を主張せねばなりません。

 日本のような革新先導型のような国において、中進国経済をけん引する効率先導型のようなお店の増加策が果たして有効なのか?ということです。

 経済政策視点でいえば、革新主導型経済では小資本の(個々の事業主が集積する市場のような)形から、大資本化(企業化)された形態へと移行しつつあります。するとそれに見合った革新的形態の起業への助成が効果が高いのは必然です。革新的とは技術を中心とした製造業に限りません。サービス業でも様々な革新が日々生まれます。単に個人を起業させて、競争を増やすだけの政策は、全体経済としての拡大効果が存在せず、極論すれば税金の無駄です。ミクロ経済学の基本中の基本ですが、既存の市場に余剰利益が存在すれば、そこへの参入は自然発生的に生まれ、パイの奪い合いとなります。経済の非専攻の学生ならともかく、時々、こんなことすらわからないのかと、コンテスト等の審査員の中にも呆れる方がいます(それが学生にやる気を与えるとか、きっかけを作るという教育的な視点なら理解できるのですが)。

 呆れるというのは知らないということに対してではなく、また決して個人事業を起こすことを否定しているのでもありません。税金の使途を決める立場が適当な仕事をしてどうする…という別の議論です。

 教育政策視点で見てみましょう。教育的効果があるからと言えば、逃げのような形で言い訳が立つわけでもありません。当然、その質が問われます。高度経済成長時代の日本の教育は、欧米に対するキャッチアップ型の教育政策が有効でした。ですから暗記中心の受験スタイルは間違いではなかったのです。暗記型の受験がどうこうと、過去を非難する人がいますが、昔は東大は暗記で入れる時代でよかったわけです。

 しかしそれを90年代以降も続けた結果、日本はどうなりましたか?起業率が低迷し、開業率が廃業率を下回り、経済成長は完全にストップしました。教育政策での問題は、少なくとも90年代に暗記型から脱却しておくべきでした。その中でも一部の大学等では論文等の比重を高めたりといった工夫はありましたし、どことは明言しませんが、実際にそれらの中の一部の大学では卒業生が明らかに成果を出しています。昨今、センター試験が変わるという話は、ようやくといった感じですね。

 大学での起業教育でも、海外に倣うみたいなキャッチアップ型を行おうという姿勢が大勢を占めている気がします。その部分は日本が遅れているので、今は正しいのかもしれません。しかし次のステップは、わが国独自の内と外からの気づきの創出でしょう。つまりアイデンティティを軸としたグローバルとローカルのアントレプレナーシップ教育です(アイデンティティ教育を抜きにしたグローバルとローカルの教育をやると、宇宙人がたくさん生まれてしまうので要注意です)。

 ともあれ、このように中進国の経済、特に身近な起業をみつめると、わが国への政策示唆が明確になってきます。私の起業に関する研究スタイルが、従来の経済学や経営学とは異なる、フィールド立脚型の政策科学であるという特徴でもあります。

 年末にバンコクではお馴染みのフリーペーパー「DACO」さんが、私の記事を掲載してくださいました。WEBでも見ることができるようになりましたので、リンクを貼っておきます。一般向けの読み物ですので、深入りはしていませんが、先進国と中進国の比較において、起業という視点から経済をみると、わが国が経済成長と引き換えに失ってしまったものや、今後の政策への示唆が見えてきます。

 リンク:【第14回】起業準備率にみるタイ女 DACO 2015年12月20日

 私が今回の記事で伝えたい意図は、女性に対する起業支援が日本の伸びしろであるということよりは、むしろ日本の今の政策では失敗の可能性があるということです。女性が活躍できる社会づくりから始めないと、ただの数値目標で終わってしまいます(既に一部の領域では数値撤回が出ていますが)。

 またそれでも無理繰りに女性を登用してしまえば、受け入れる社会がついていかず、成果としては失敗となり、「やっぱり(女性は)ダメじゃん」みたいな間違った結論を導きかねません。そもそも人を登用するには、相応の経験も必要です。女性に活躍して欲しいなら、女性が「やりたい!」って思う社会と制度、そして男性を含めた社会全体の気づき(変革)と、経験を積むチャンスの創出が不可欠です。今の日本の社会、小さな子どもをもつ女性に「フルタイムでバリバリ活躍していいよ。」なんて笛を吹いても、誰が踊りますか?無茶な話です。票を集める目的だけならともかく、本気でこの国を変える気があるなら、政治に綺麗ごとは要りません。

 一度、記事を読んでいただいた方も、この視点を含んでいただいた上で、下のグラフも参照しながら、読み直していただけると嬉しいです。なんとなく私がやっている種々のテーマが、根の部分で政策につながっていることもわかっていただけると思います。


(男女の起業準備率の違い。ポイントはタイが高いということではなく、タイでは男女間にほとんど差がないということ。引用:米国バブソン大学、2014年度 GEM DATA)