Everyone has his own reason. - 人それぞれに理由がありますが


(ウサ公のお医者さんセット、相変わらずパーツが細かい。あ、ひとつだけ違うものがまざってる。)

 人が病院や医院に行きたくない理由は様々だと思うのですが、私の場合は面倒だからというのが一番です。どうしようもなくなって行くというパターンが通常で、それまでは「そのうち治るだろう。人間には自然治癒能力が備わっているのだから。」と勝手に自分を言い聞かせ我慢します。

 うちの3歳の娘は1歳前後の時の予防接種の連続がトラウマになっていたらしく、最近まで病院を嫌がっていました。しかし最近はよく「(家族)みんなで病院に行こうね!」と言います。なぜなのでしょうか?ちなみに1歳の息子は、やはり病院で絶叫号泣状態です。ともあれ上の娘だけでも病院好きになってくれたことは一安心です。

 そのような疑問のさなか、先日、仕事から帰ると娘がボソッと「『うさ』が病気になっても、病院がないから、治せないの…」といいました。これがきっかけで病院嫌いになっては困ると思い、即、ウサ公のお医者さんセットを購入しました。

 「はじめてのシルバニアセット」から、家族が揃い、家具が揃い、車を買って、医院を追加、ウサ公シリーズのビジネスはおいしいな(笑)。

    
 (お医者さんセットにはウサ公は入っていませんでした。今のところパパウサ公がお医者さん役になっているようです。)

I tried to exercise my Share Option, but −権利は行使したものの…


(もうすぐ5月ですね。今年もパキラは元気に新しい葉を出し始めました。今年は切らなかったので背が伸びたままです。)

 ずいぶん昔に保有することになった未公開会社の株式があります。その後、同社は増資や名称変更など、こちらが把握できない程、紆余曲折を繰り返しました。先日、同社から新株予約権の行使期日の案内がありました。ライツ・オファリング(自社の株主に新株予約権を割り当てる増資手法)ですね。

 確かに株式以外に、新株予約権も購入したような覚えがないわけではありません。届いた資料をよく読みます。権利行使価格の倍までの価値にはならなくとも、行使価格以上の1株純資産があります。つまりそれなりに含み益はありそうです。しかし…!ムム、この権利を行使しても単位株に満たない!どうやら一昨年あたりに新会社へ移行(株式移転)したようで、単位が変更になっているらしい。

 新株予約権1000個に対し、新株式1株が割り当てられるとのこと(つまり旧株式の単位を1000個持っていないと1株にならない)。新株予約権の行使の結果として、1株未満になる場合は、1株純資産に比例した金銭が交付されるらしい。

 創業時の同社もさながら、今でも愛着があるので、せめて行使後に0.5株以上になる場合は残り分を追加で支払うので1株として渡してもらいたいものです。(原則として、新株予約権は「放棄」「売買」「行使」の3つの手段をとることが出来ますが、上場会社ではないので、実質的に売買する市場がないのです。)

 同社に払込額などの確認をしてみると、「手続きに時間がかかるので、またそれまでのやり取り等も含めた手数も考えてね。」とのこと、向こうとしては「行使(払い込み)」をせず、この新株予約権を「放棄」してほしいみたいな様子も感じ取れました。

 ただ、もともと中小企業のファイナンスから研究をスタートして、今ではアントレプレナーシップや起業、ベンチャーの研究をしているものにとっては、むしろその手続きや会社の株主への対応に興味があるわけです。今のところは結果として損はしないので、行使してみることにしました。面倒をかけてごめんね…。

 一般的にライツ・オファリングは、市場価格よりも低い価額で新発行株式を購入できます。ですので、同社のように市場価格がついていない場合は、1株純資産より下の価格での設定になったようです。

 また日本で導入されてまだ数年という同手法ですが、未上場株の場合は実質的な株主割当増資ですから、既存株主の株式の希薄化を防ぎます。一般的に株主割当増資との違いは、同手法の場合、払い込みに応じなくとも新株予約権を市場で売却すれば、行使価格が低く設定されていても権利売却分で損失を軽減または回避できる可能性があるという点で優れています。

 ともあれ、今回の場合、新株予約権の権利は行使したものの、新株がやってくることはなく、払込額より多い金銭が戻ってくるという形になります。不思議な権利行使ですね。

 穿った見方をすれば、今回の株式移動による実質的な単位変更で、既存株主にとっての希薄化は防ぐとしつつ、実質的には所有率の低い株主には現金で還元する形になりますから、合法的な大株主の支配率上昇を狙ったものとも考えることができますね。ともあれ同社の発展を期待しています(^^)。

    
 (少し早いですが、5月のしろたんはスイスでアルプホルンにチャレンジだそうです)

Not again! Digital camera ended up breaking. − これもソニータイマー!?


(娘と公園に向かう途中に綺麗なチュリップ畑をみつけました)

 4月ですねって、もう中旬ですが…。しろたんカレンダーの4月も、オランダのチューリップ畑をテーマにしています。オランダといえば、チューリップバブルが発生した国、チューリップの球根1個が家と同価値にまで達したといわれています。後処理は大変なものの、バブルという言葉はいい響きですね。

    
 (しろたんカレンダー4月)

 さて、またもソニータイマーにやられました(笑)。2014年11月末のブログ"Sony Timer" is one of the urban legends? Unfortunately, my PC and camera broke down successively."(リンク)にて、「ソニータイマー」という言葉に触れました。あの時は、ソニーブランドのデジカメが壊れ(同時にソニーVAIOのPCも壊れ)たのですが、保証期限終了直後という、あまりにもタイミングが良すぎるときでした。

 そして当時(2014年12月)買い替えたデジカメが、2016年2月に、またもや物理的な問題で壊れました。今回はバッテリーを入れる場所の蓋が閉まらなくなったのです。閉じる際に引っ掛けるプルタブのような2〜3ミリ四方のプラスチックの部分が取れてしまいました。

 保証期限は、ちょうど過ぎています。さすがにまた買い換えるのはもったいないので、修理に出すことにしました。前回の壊れ方も似たようなものですが、今回のバッテリーも蓋なので、「壊れたといっても電子基板の部分等ではないやん!」という突っ込みが入るかもしれません。

 しかし商品である以上、レンズや蓋といった類に至るまで、保証期間後も十分にもつような耐久性を維持してこそ、ブランドじゃないですか?いわゆる「劣化テスト」とか「○○回テスト」いうやつを、蓋についてもきちんとしているのでしょうか?決して無茶な使い方はしていないのですが、もしかすると保証期限が過ぎるぎりぎりぐらいの耐久性を、あえて想定しているのかとさえ疑いたくなります(泣)

 購入したお店を通じて出た見積もりは、約16,000円。しかも修理しなくても1,000円かかると、見積もった後に言われました(「見積もる前に言えよ」という話ですが…)。ただ外側の部分に凹みがあるのでそれも直すとのこと。

 今回は修理で直すことに…。見積もりが出た当初は少し不満足でしたが、返ってきてからは、そこそこ満足です。というのも、ほぼ新品のようになったからです。ストラップのついた薄いオレンジの部分以外は交換してもらったようです(濃いオレンジの部分、およびディスプレイなどは完全交換)。丁寧にも古い部品も返してくれました。なぜか全交換ではないところが微妙…。

    
 (見た目ですが、8割方新品にしてもらったので、この修理費でもどうにか納得です。わざわざ旧部品を同封しなくても、新しい部品にしてもらったことはわかりますが…)

 しかしちょっと待てよ。外側の凹みは、そもそも目立つものでもないから、直さなくても全くもって影響はないんですけどね…。ソニータイマーは、ますます都市伝説ではないような気がしてきました(あくまで個人の感想です)。

Is it a sophistry or right insistence? - そもそも基本的な認識に違いがあるわな…

 11日のケリー国務長官の広島訪問に続き、オバマ大統領の訪問が検討されていると報道されています。

 AFP.comによると、"If you are asking whether the secretary of state came to Hiroshima to apologise, the answer is no"((ケリー氏は)謝罪しに来たわけじゃない)とのこと。このコメントは日本のメディアでも報道されました。

 同記事で注目すべきは、その次に続く文言です。"Japan, as the only nation to experience a nuclear attack, emphasises the suffering its people endured. But while publicly calling for the eradication of nuclear weapons it has for decades been a close security ally of Washington under the protection of the US nuclear umbrella."(AFP.comより引用)要は、日本は核攻撃を経験した唯一の国として、その苦しみを強調するが、おまえらは米国の核の保護でやってきたじゃないか(かなり要約)!といっています。まぁ、これが「現代の」米国人の考え方なのかもしれません。

 どちらが正しいかは不毛な議論ですが、日本人と米国人の基本的な考えのベースの差異を感じますね。

 マーガレットサッチャー元首相の「我々は核兵器のない世界ではなく、戦争のない世界を目指す。」という言葉が有名です。一瞬、納得してしまいそうですが、日本人にとっては、どうもしっくりこないですね。核兵器のない世界「も」目指してよ!ってね。この言葉は、核兵器の「ある」世界を肯定し、その上で戦争の「ない」世界を実現するという意図を含んでいると思われます。つまり核兵器を戦争に対する「抑止力」と考える前提があるわけですが、その前提がそもそもおかしいわけです。

 ゲーム理論では「囚人のジレンマ」が有名ですが、これは2人の囚人が互いに相手が裏切るのではないかと疑心暗鬼になって、結局共に相手を裏切るというものです。ここではお互いが同条件であることも、ジレンマのポイントです。

 もし核兵器を抑止力と捉えるのであれば、双方の保有が前提になります。日本人が誤解してはいけないのは、まさにこの点で、サッチャー元首相の発言自体は、この前提を含んでの事でしょうから、おかしくはないのでしょう。当時の前提は東西冷戦、つまり東西共に核兵器保有していましたから。

 しかし冷戦時代も現在も、世界では「一部の」国の核兵器保有が戦争の抑止力につながっていないことは明らかです。米国はどのような理由であれ、核兵器保有しつつ、戦争を各地で行いました。互いに持っていないと、持つ国が持たない国(または人々)をやつけるための威嚇または武器でしかなかったのが実際です。日本は米国に原子爆弾そのものを落とされた国です。
(米国の行動については「どのような正論もかっこいい言葉も素晴らしいウンチクも、その発言者の過去の行動を考えれば、シラけることがあります」と述べた、過去のブログ「The words would do if it wasn't said by him. ‐ その前に言うことがあるだろう(リンク)」を参照。)

 「我々は核兵器のない世界ではなく、戦争のない世界を目指す。」というサッチャー元首相の言葉は、シラけこそしないものの、私たち日本人はそのような一見かっこよく見える言葉に酔わないで、冷静になりたいものです。そもそもサッチャー元首相の言葉をより正確に理解しようとすれば、"A world without nuclear weapons would be less stable and more dangerous for all of us." by Margaret Thatcher(核兵器のない世界は、私たちにとって安定に欠け、より危険である)のほうがいいでしょう。カッコよくはないかもしれませんが、このほうが突っ込みを入れたくなる、または納得できないという点で、平和ボケした国民にも少しは正しい理解を促します。

Innovation human resources are born by making entrepreneurship spread! - 起業家精神を養うことがイノベーション人材を生む

 全国の国立大学ベンチャー・ビジネス・ラボラトリーの教員が集う全国VBLフォーラム、そのテキスト作成ワーキングメンバーで、このたび「アントレプレナーシップ教科書」(中央経済社様,2016年,リンク)を刊行いたしました。

 関係者の皆様はじめ、多くの方々のご協力をありがとうございました!「キャリア・アントレプレナーシップ論」(萌書房,2015年,リンク)ともども、どうぞよろしくお願いいたします!!

    
 (今年度はアントレプレナーシップ系で2冊だすことができました!)
 
    
 (気づけば年度末、明日から4月ですね。3月はフランス、テーマは「おしゃれな朝食」だそうです。)

What does retrospective cohort study find? ‐ う〜ん、基本的に何を食べても栄養になるのでは?


(家族も揃った「わが家のウサ公ファミリー」、とうとう自家用車がきました!)

 福井のいいところは、至るところに「広い」公園があるところ。しかし福井に限らないのかもしれませんが、「砂あそび場」が意外にも少ないです(畑は多いので、そこでやれということか?(笑))。

 先週の日曜日は、娘が張り切って砂遊びセットを持ってきたので、「じゃ、公園に行こうか」ということになりました。張り切りついでに、いつもの近場の公園をパスして、少し歩きます。4つの公園を回りましたが、どの公園も滑り台とブランコはあるものの、砂遊び場がありませんでした。

 今日はリベンジです。砂遊び場のある一番近い公園に行きました。今日は満足したようです。

 私が砂遊び場にこだわる理由は、砂でものを作る創造性と、作ったもので行うごっこ遊びによる情操など、昭和の子どもたちがやっていた学びを伴う遊びができるからです。もちろん大型遊具を使った遊びも、運動神経や空間認識などの様々な学びがあります。

    
 (トランクもあり、チャイルドシートも付けることができます。ナンバープレートを引っ張り出すと、バーベキューテーブルになったりと、充実したファミリーカーセットです。少々車がレトロなのは、仕方がないとしましょう…。30年の歴史ですから。)

 さて家の中の遊びですが、「はじめてのおうちセット」「ウサ公パパ」「ウサ公赤ちゃん」「お風呂セット」「ウサ公ママと豪華キッチンセット」の次は…「ファミリーカー」を買ってみました!最近、娘(よりも私?)が興味を持っているウサ公(シルバニアファミリー)シリーズですが、その教育効果について、少々書きたいと思います。同シリーズを製造販売しているエポック社のホームページに、それらしき説明が述べられていました。

 同社の説明によれば、情操教育に効果があるとされています。例えばNEO-FFI(NEO Five Factor Inventory)の「神経症傾向」「外向性」「開放性」「調和性」「誠実」の5つの区分のうち、外向性や開放性、誠実性について、シルバニアファミリー経験者と非経験者では、前者のほうが高い検証結果を示したとしています。

 確かにウサ公の世界観から、それらの効果が生まれるのは理解できます。ただ調査方法はいいのですが、その結論の出し方に少なからず強引さを感じました。それはNEO-FFIの項目に焦点をあて、日本の20〜25 歳の未婚・社会人女性について「幼少期にシルバニアファミリーで遊んでいた群」200名と「幼少期にシルバニアファミリーで遊ばなかった群」200名のそれぞれのNEO-FFI得点を比較するという、基本的な後ろ向きコホート調査でした。その結果、前者のほうが有意に数値が高いということから、同社製品のアピールがされています。

 少し考えれば誰でも気づくのですが、何を食べても何らかの栄養になるという理屈と同じで、この調査結果は同社製品の優位性を示すものではありません。食べた人と食べなかった人では、食べた人にはその分の栄養が追加で摂取されるのと同様に、やらなかった人とやった人を比較すれば、やった人にその経験値が貯まるのは当然です。数値結果を出されると、そうなのかと思いがちですが、他の玩具との比較を行ってどうなのか、またそもそもウサ公を好む子どもの集団が、もともとその得点が高い子どもだったということも考えられます。さらに私のように、親が敢えてウサ公を選んで与える家庭の特性がもともとその得点が高くなりやすいという可能性もありますね(情操の効果を狙って様々なものを試している可能性が高いわけですから…)。

 ちなみにこの「後ろ向きコホート調査(retrospective cohort study)」とは何かということですが、コホート調査はメインの「前向きコホート調査(prospective cohort study)」とこの後ろ向きものの、2つに分かれます。コホート調査自体は、原因と結果の関係性を探る調査法で、「ウサ公で遊ぶ」という原因が「情操教育に効果がある」とする結果につながるかどうかということです。

 では「前向き」と「後ろ向き」ってなんじゃ?ということですが、「前向き」の場合は、ウサ公で遊んでいる集団とそうでない集団に対し、将来、情操教育の効果が出るかどうかを比較調査します。時系列でみて、(例えば現在を起点に)未来にベクトルが向いているということで「前向き」といえばわかりやすと思います。

 「後ろ向き」というのがこの例の場合ですが、過去にウサ公で遊んでいた集団とそうでない集団に対し、現在の情操教育の状況を比較調査します。(例えば現在を起点に)過去に遡っているので「後ろ向き」と訳されてしまったのでしょう。本当は、"retrospective"とは過去に遡るという意味ですから、実質的な調査方法からしても「回顧的コホート調査」という日本語にしたほうが正しいと思われます。

 さらに医学の研究とかで、ケースコントロール調査(結果対照研究)という、やはり回顧的(後ろ向きとされる)方法が使われることがあります。これは、その言葉そのものですが、「情操教育の得点が高い」という結果の人々を集めて、その人々が「ウサ公で遊ぶ」という原因を経験していたかどうかを調べますね。

 私が主とする政策科学分野では、様々な事象に対し、このような効果検証を行っていきます(代表的なのが国や地方自治体等の政策効果検証)。そのため、それぞれの調査方法の違いを正確に把握していないと、間違えた結論を導きかねませんので、どうしてもこのような調査を見ると、敏感になります。

 時折、「データの見せ方によって説明のやりようはいくらでもある」などという戯言を聞くことがありますが、そんなことはありません。行政データも怪しいまとめをされていることがありますが、見るべき人が検証すれば、正しいか誤魔化しかは簡単に見抜けますよ(^^)。もちろん私はウサ公セットの教育効果に肯定的です。

How is my deep memory revived?−再認と再生の違いを旅先で感じた瞬間


(今日はSuan Sunandha Rajabhat Universityを訪問いたしました。)

 Suan Sunandha Rajabhat Universityにはじめて訪問させていただいたのは、およそ7年前、京都大学に勤務していた時です。私がタイに関連した研究をスタートさせて間もないころでした。当時、応対いただいた先生はすでに他大学に移られており、同大学とはその後は特にこれといった関係はありませんでした。しかしこの7年でご縁を頂いたタイの別の大学の先生が同大学と深いご縁をお持ちであったり、京都大学で一緒だった方がその後、この大学に勤務されるなどの関係を持っておられ、どことなく気になる大学でした。そして最近、その方々同士も何らかの線で結ばれていたことを知りました。

 失礼ながら、規模も知名度も取り立てて目立つほどの大学ではないと思うのですが、縁といいますか、このように不思議なことってあるものですね(タイでトップレベルのThammasat Universityに、知り合いが多くなるのはわかるのですが…)。

 今日はあるタイ人の先生にお会いしたのですが、その方はタマサート大学ご出身で、私が懇意にさせていただいているタマサート大学の先生とも深い関係があったことを知りました。やはりこの大学とは妙な縁を感じてしまいます。そしてこの大学の写真の景色をみて、久々に旅先での私の記憶想起が一気に襲ってきました。

 4年前のブログ「旅先では過去の記憶を思い出しやすいものなのか?(リンク)」にて、「旅先で街歩きをしていたりすると、過去の記憶をふと思い出す」ことについて、拙い知識から「景色を見ているという空間認識によって海馬が刺激される」ことが原因ではないだろうかと書いたことがあります。

 やはりタイで数週間経つと、懐かしい記憶が蘇ってきますし、今日のような特定の景色を見た瞬間、過去の記憶が襲ってくることがあります。不思議なものです。

 また普段は特定のクラシックや"Hotel California"ぐらいのロックしか聴かない私でも、タイでは時折、小中学生の頃に聞いた懐メロがふと頭によぎります。その原因が気になります。

 ここ数日間で妙に懐かしく感じるのが、私にとっての神様級である中森明菜「様」の曲、特に"Desire"や"Meu amore"あたり…。

 記憶というのは、「記銘(覚える)」して「保持(保存)」してから、2つの引き出し方法があるといいます。直接的なきっかけによる「再認」と、連想による「再生」です。この2つは何が違うかということですが、記憶の奥底にあるものは「再認」でしか思い出せないといわれます。するとやはり4年前に記載した通り、旅先というのは空間認識等の直接的なきっかけから、「再認」という現象が起こるのでしょうか?

 う〜ん、気になります…。