How is my deep memory revived?−再認と再生の違いを旅先で感じた瞬間


(今日はSuan Sunandha Rajabhat Universityを訪問いたしました。)

 Suan Sunandha Rajabhat Universityにはじめて訪問させていただいたのは、およそ7年前、京都大学に勤務していた時です。私がタイに関連した研究をスタートさせて間もないころでした。当時、応対いただいた先生はすでに他大学に移られており、同大学とはその後は特にこれといった関係はありませんでした。しかしこの7年でご縁を頂いたタイの別の大学の先生が同大学と深いご縁をお持ちであったり、京都大学で一緒だった方がその後、この大学に勤務されるなどの関係を持っておられ、どことなく気になる大学でした。そして最近、その方々同士も何らかの線で結ばれていたことを知りました。

 失礼ながら、規模も知名度も取り立てて目立つほどの大学ではないと思うのですが、縁といいますか、このように不思議なことってあるものですね(タイでトップレベルのThammasat Universityに、知り合いが多くなるのはわかるのですが…)。

 今日はあるタイ人の先生にお会いしたのですが、その方はタマサート大学ご出身で、私が懇意にさせていただいているタマサート大学の先生とも深い関係があったことを知りました。やはりこの大学とは妙な縁を感じてしまいます。そしてこの大学の写真の景色をみて、久々に旅先での私の記憶想起が一気に襲ってきました。

 4年前のブログ「旅先では過去の記憶を思い出しやすいものなのか?(リンク)」にて、「旅先で街歩きをしていたりすると、過去の記憶をふと思い出す」ことについて、拙い知識から「景色を見ているという空間認識によって海馬が刺激される」ことが原因ではないだろうかと書いたことがあります。

 やはりタイで数週間経つと、懐かしい記憶が蘇ってきますし、今日のような特定の景色を見た瞬間、過去の記憶が襲ってくることがあります。不思議なものです。

 また普段は特定のクラシックや"Hotel California"ぐらいのロックしか聴かない私でも、タイでは時折、小中学生の頃に聞いた懐メロがふと頭によぎります。その原因が気になります。

 ここ数日間で妙に懐かしく感じるのが、私にとっての神様級である中森明菜「様」の曲、特に"Desire"や"Meu amore"あたり…。

 記憶というのは、「記銘(覚える)」して「保持(保存)」してから、2つの引き出し方法があるといいます。直接的なきっかけによる「再認」と、連想による「再生」です。この2つは何が違うかということですが、記憶の奥底にあるものは「再認」でしか思い出せないといわれます。するとやはり4年前に記載した通り、旅先というのは空間認識等の直接的なきっかけから、「再認」という現象が起こるのでしょうか?

 う〜ん、気になります…。