Don't fade memories of World War II with time. - しかし忘れてはいけないのはそれだけではありません。


滋賀県護国神社「みたままつり」、2014年8月)

    
 (靖国神社、2014年8月)
     
 (岡山県護国神社、2014年8月)
    
 (滋賀県護国神社、2014年8月)

 今年は8月10日から15日にかけて、靖国神社岡山県護国神社滋賀県護国神社を参りました。戦後69年になります。戦後レジームからの脱却を真剣に考えると同時に、時間の流れの中で先の戦争の記憶は決して忘れてはなりません。

 これら2つを混同する人も多いようです。念のためですが、前者のヤルタ・ポツダム体制(からの脱却)と、後者の戦争の記憶(の風化を防ぐこと)は全く別次元のものです。

 後者の方はマスコミをはじめ多くの人びとがその必要性を口にします。もちろん間違っていません。しかし前者を少しでも真面目に考えた日本人がどのくらいいるのでしょうか。

    
 (シベリア抑留も決して忘れてはならない屈辱的な出来事です)

 先日の8月15日、滋賀県護国神社で上の文言を目にしました。ウクライナ問題、民間旅客機を撃墜、昨今のロシアの行動をみて、私たちは改めてこの国が日本に何をしたのかを学び、今一度、この国との関係を真剣に考える必要があります。

 69年前の8月9日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、敗戦が確実な状況にあった日本に侵攻を開始しました。日ソ中立条約は1946年4月まで有効でした。また破棄通告後1年間は有効とされるべきものでした。ソ連が破棄を通告したのが1945年4月5日ですから、同年8月9日の侵攻は無効であるどころか、その殺戮行為に対する賠償すらされていません。
 何より日本は1945年6月22日に、終戦のための仲介をソ連に依頼しており、日本の敗戦をソ連は確信しています。その上で、米国が8月7日に広島の原爆を投下し、それを知り、我こそと焦ったソ連は8日に日本に宣戦を布告、9日に侵攻を開始しました。
 ポツダム宣言を受諾し、終戦とされる8月15日以降も侵攻を続け、南樺太の真岡郵便局事件をはじめ、無差別に日本人民間人を射殺していきました。
 戦後も多くの日本人が拉致され、強制的にシベリアに連れて行かれ、過酷な条件のもとで労働を強いられました。これらが行われたのは、ポツダム宣言の受諾後かつ日ソ中立条約の有効期限内であることも重ねて忘れてはなりません。
 ヤルタ協定で話し合われたソ連参戦に係る密約、その延長上にある北方領土の不法占拠という現状、これが戦後レジームの1つの姿です。

 この体制からの脱却の必要性に日本人であれば異議をもつことはありえないでしょう。しかしなぜか戦後レジームからの脱却というと、あの戦争の反省を忘れたのか等の勘違い甚だしい稚拙な反論がでてきます。日本の教育の酷さに愕然とします。
 さて、このような国と友好などできるのでしょうか。まともな交渉ができるのでしょうか。それでもしなければいけないのでしょう。どのようなウルトラC技を使うべきでしょうか。

 戦争の記憶を風化させない、それは大賛成です。しかし戦争は良くないということだけでなく、先の大戦で私たち日本人はどのような屈辱と仕打ちを受けたのか、ポツダム宣言後の憲法や教育(これも戦後レジームの1つです)で意図的に避けられてきた事実に目を背けず正面から向かい、学ぶべきものを学ぶことも必要です。

 平和を唱えるなら、憲法9条を議論するなら、まずは戦後レジームとは何かを学ぶべきです。歴史の真実を知らずして、これらを議論しても無駄です。

 そして風化させてはならないのは、戦争の真実の記憶だけではありません。戦後も69年が過ぎると、護国神社に祀られている人々の遺族の方々も、徐々に護国神社から遠のいてしまうことも事実でしょう。これから護国神社をどのように維持管理していくか、戦争の記憶だけでなく、現実的な目の前の問題にも取り組む必要があります。