A great ancestor's footprint is everywhere in Southeast Asia. ‐日本人にとって東南アジアを知ることは戦後レジームからの思想的脱却にも寄与します。


(コタ地区のスンダ・クラパ港の市場)

 既に9月末日、帰りも例のネカフェのフラットシートクラス(笑)で、日本に帰国しています。Facebookにも載せましたが、ジャカルタのコタ地区(オランダ統治時代のバタヴィア地区)における東インド会社の跡を訪ねて回ったときのことをまとめておきます。

    
 (先日の前言撤回します。夜便のこのフルフラットシートはとても快適でした^^)
    
 (朝焼けもきれいでした)

 現地の英語ガイドの方に1時間ほど案内をお願いしました。私が日本人と知るや否や嬉しそうな顔をします。この日の恰好からしてお金をもっている日本人には見えなかったとは思うので、「ちょっ!コレは!」という予感がしました。
 
 案の定、コレは!が当たりました。いきなり「イマムラ!」といいます。「いや人違いですけど…。」と思ったのですが、次の質問で納得です。「詳しいか?」と聞かれました。「名前程度…」と返すと、「(日本人なのに)どうしてその程度なの?」という感じで、おもむろに悲しそうな顔をします。

 もちろん今村均中将(後の大将)のことです。イギリス、オランダ両軍を、インドネシアから一瞬にして追い払った指揮官で、この時のインドネシア人の日本兵への協力は多大なものでした。またインドネシア人からは尊敬される人物だそうです。そこそこは知っていたのですが説明しろと言われると困るので、名前程度と返したのは事実です。ガイドだけあって、やはりこの方、詳しく知っていました。

    
 (大航海時代東インド会社の跡を辿るはずが、いつの間にか近代史が中心になりました^^)
 
 (ガイドさんに言わせるとこの光景に「イマムラ!」といいます。戦争は避けるべきものであるのは確かですが、しかし蔓延っていた欧米の植民地支配からの脱却には、他にどのような方法があったのでしょうか?)

 一度、自分たちの受けてきた戦勝国の論理による歴史教育を白紙にして、もし日本が、私たちの偉大なる祖先が1941年12月8日に一大決心をしなければ、どのような現在があったのかを考えることは極めて大切なことだと思います。

 さて、話を戻してこのガイドの彼はジョグジャカルタ出身の生粋のインドネシア人です。すれ違った外国人に"Where are you from?"と聞きまくるのですが、大抵の国におおよそ"Good!"という反応をする中、"Netherlands"(オランダ)に対し、偶然か必然かガン無視状態でした!

 東インド会社の話もいわゆるガイドレベルでいろいろ教えてくれたのですが、やはり深くて一番熱かったのが独立戦争時の日本との友好の話でした。思わぬところで、とてもいい話を聞くことができました(^−^)。

 また現地人だけあって、市場の中の鶏を絞める裏の裏までイイヨイイヨと案内してくれます。最後はおまけで友人からバイクを借りて、送ってくれました!
    
 (奥のほうまでついて来いというので行くと、床も机も生々しい血が…)

 東インド会社関係の1日のはずが、太平洋戦争とインドネシア独立戦争が中心の日になりました(^^

 最終日の空港に向かうのは、市内の渋滞が恐ろしい状態の様子でしたので、これはまずいかもと思い、渋滞に影響されにくいバスウェイで市内西隅(空港側)まで移動します。「カリデレス」というこれまた、ジョーの漫画に出てきそうな強そうなボクサーの名前のようですが、行ってみると普通の郊外のバスターミナル(終点)でした。ここからタクシーで高速を使い空港まで20分ほどでした。

    
 (カリデレス、名前が強そう…)
    
 (でも郊外ののどかな場所でした)
    
 (郊外まで来ると、普通のタクシーを捕まえるには、少し歩いて大通りに出たほうが良いようです)

(追記)
 インドネシア人が日本に対してどう思っているかという議論で、日本がアジア解放をめざしインドネシアに進駐したことや、独立戦争の協力の話が、インドネシアの教科書等には少ししか書かれていないという重箱の隅をつつくような理由で、インドネシアは全然親日ではないという人もいるようです。(既に教科書に記載がある時点で、日本の歪んだ歴史教育よりはよほど真実を語っていますが…)。
 もちろんインドネシア人も人それぞれだと思います。ひとつ興味深い話を聞きました。インドネシアでは経済格差に対するデモが時折起こります。中国人が支配する今の経済に対し、中国関係のお店等を襲ったこともあるようです。戦時の植民地支配者という意味でかつてのオランダやイギリスを、今のインドネシアの経済構造に置き換えて中国とみるのかもしれません。日本企業がインドネシアで受け入れられる理由にも関係するかもと思いました。年配者はいまでも、「あの時我々を解放してくれた日本軍がやってきた日、あの圧巻さを思い出すと夜も興奮して寝られない」という人もいるそうです。そのような話を聞くと「日本企業がんば!^^」と応援したくなります。
 また人それぞれといっても、何よりインドネシアの英霊墓地には共に独立戦争を戦った日本人が祀られていることも事実です。今村大将が戦後のオランダによる軍事裁判を受けるためインドネシアの収容所に送られた際、同収容所内のインドネシア政治犯の人々が、あのイマムラ大将がここに来られたと知り、夜7時の合図と同時に地の底から湧き立つような「八重潮」の大合唱をしたという話もあります。「八重潮」はインドネシア人と日本人が戦時中に一緒に歌ったものです。
 オランダによる軍事裁判で、もし今村大将が死刑になるようなことがあれば、故スカルノ大統領は政府として、今村大将を奪回する手筈を整えていたともいわれます。それをインドネシア関係者が収監中の今村大将にそっと「私たちはあなたを何としても奪還します。」と、その奪還計画を伝えにきたとき、今村大将はこう拒んだそうです。
「自分のために、インドネシアの人々が国運をかけてまで(戦勝国の論理に包まれた)国際社会に反し、血を流すのは本意ではない。」


Facebookに挙げた写真です)