Renaissance? The spirit would revive Japan in the near future. - この新聞記事との出会いは衝撃でした。

 先日、飛行機の中で、CAさんが新聞をすすめてくれました。見ると朝日、日経、スポーツ紙をもっておられました。阪神ファンの私は読売新聞を読むことはあまりなく、仕事柄、大抵は日経新聞です。しかし珍しくなぜか「読売あります?」と聞いてしまい、わざわざ持ってきていただきました。

 それが偶然、とても腑に落ちる記事との出会いにつながります。腑に落ちるといいますか、いままでそう思っていたものの、うまく表現できなかったという方が近いのかもしれません。親しくしていただいているアントレプレナーシップ関係の先生方とは、およそ同じような内容で共通認識を持っていたインタビューが載っていました。

 それは読売新聞(8月11日のもの)の1面と11面ですが、元経済企画庁の局長経験者の終戦前後の経験談です。戦時中は高校生だった同氏は、特攻用の飛行機の開発の勤労奉仕をしていたそうです。

 終戦を迎え、その後の1945年の8月28日に連合国軍の先遣部隊がやってきた日、夕方にB29が上空を低空飛行していたそうです。その時に、「見れば見るほど立派な飛行機。勤労奉仕で手伝っていたものとは全然違う。米国の科学と工業と資源に負けたのだ。」(同新聞1面)と痛感したそうです。

 その後、同氏は東京大学第二工学部に進みます。第二工学部とは、第一工学部と学科編成は同じだったものの、アカデミズムを追求する第一工学部とは異なり、実学を重視したようです。教員の半分は、企業人だったとのこと、研究や理論など難しいことにこだわらず、自由な雰囲気があり、苦境にあってもあきらめずに挑む、その精神を培う場だったと、同氏はいいます。(同11面)

 卒業後、同氏は経済企画庁に進みますが、このような言葉でまとめておられます。「工学と政策の両方に関わって思うのは、優れた技術とか独創性という点で、戦時中は日本は米国に負けていなかった、ということです。ただ、やたらに同じものを作り出す大量生産技術にでは到底かなわなかった。」(同11面)

 そして同新聞の記者が次のような鋭いコメントを残しています。「戦中からの問題は今なお残る。優れた性能の戦闘機などを造り出す技術力はあった。でも世界との戦い方を含めた戦略はどうか?『技術で勝ってビジネスで負ける』今の日本の姿が重なる。」(同11面) 

 今、日本の国立大学は様々に変革を迫られています。東京大学第二工学部は戦時中に軍事技術の開発をしていたことが原因だったのか、戦後に解体されてしまいました。しかし富士通や鹿島、日産などの社長を輩出し、戦後の日本経済を押し上げる多くの人材が生まれています。

 閉塞感が漂う近年の日本、再び当時の東京大学第二工学部のような、実学を目指す国立大学が必要なのではないでしょうか?

 もうひとつ、同記事には大学に関する興味深い戦時中の記載があります。戦時中、文系の定員は大きく削減され、理系は大幅増員されていたとのこと、もちろん当時は戦争と関係してのことでしょう。しかし現在の、国立大学の文科系のあり方の議論に重なる気がしてなりません。

 もちろんこれからの日本に戦争はありえません。しかし同紙の記者が触れたように、「技術で勝ってビジネスに負ける」事態の繰り返し、これからの産業経済において、先の戦争と同じ歴史を繰り返してしまわないでしょうか。いくら理論に明るく、技術に長けていても、使い方を誤れば同じ歴史を繰り返します。

 その意味で、これからの日本の工学には、幅広い文科系の知識と考え方の融合が必要とされます。現代版の第二工学部が、数年後、数十年後の日本を救うでしょう。当時の東京大学第二工学部の精神、苦境にあってもあきらめずに挑む、その精神を培う場こそ、今の工学に必要とされることで、それがまさにアントレプレナーシップ教育です。