フェイスブックを再開しました!

 今朝、うっすらと積もっていました。今日は…、3月ももう26日ですが。もちろん市内の道路などは、さすがにもう積もりません。

 
 (分かりにくいですが、今朝、私の車の上に溶けずに残っていた雪)

 しかし未だ3月も後半というのに「寒い!」というのがどうにも慣れません。明日の大阪への出張、コートを着ていくと向こうでは浮くだろうなぁ、と悩んでいます。

 さて、先日、フェイスブックを再開しました。かなり昔に(まだ日本語でできなかった頃?)現地で知り合ったタイ人にすすめられて始めたのですが、その後mixiがメインになり一旦辞めていました。今回も多分にタイがきっかけで再開をしています。

 余談ですが、フェイスブックと言えば、映画「ソーシャルネットワークにもなりましたね。あの映画では少しだけ金融に関するシーンがあり、興味を持ちました。

 同社のCFOをしていたエドゥアルド・サベリンは、30%以上あった持株比率を0.03%まで希薄化されてしまいます。その結果、サベリンは訴訟を起こします。

 確かにサベリンにとって可哀そうに思える話ではあるのですが、CFOでありながら(おそらくストックオプション付与による)株式の希薄化が記された契約書にサインするのはどうかなとも思いました。

 また会社が急成長する過程でショーン・パーカーのような、いい意味でも悪い意味でも、いわゆる「グレーヘアー」のような人材が向こうからも寄ってくるものです。いい意味ではアドバイザー、悪く言うと寄生目的で寄ってくる人ですが、この映画では完全に後者のイメージで描かれています。そういう外部人材に対し、内部にいた人間は反発を覚えるもの必然ですが、しかしそれも会社の成長を考えれば致し方ないものです。会社の成長に伴い、(プライベートカンパニーからパブリックカンパニーに変わる過程で)組織の変革、入れ替わりがなければ、組織の成長も止まります。なにより後者という考え方は正しいものではなく、前者で活用できるかどうかは、まさにCEOの手腕です。

 そういう意味では映画「ソーシャルネットワーク」は、かなりサベリン寄りの主観でストーリーが書かれ過ぎていると思います。映画を見ると感情的にはサベリンに同情をしてしまいそうですが、客観的に見るとCEOであるマーク・ザッカーバーグの判断は正しいものなのです。

 ちなみにフェイスブックの「f」のマーク、いつみても福井大学のマークに見えてしまいます。

 
 (これも関係ないものですが、バンコクの街で見かけた看板です、なぜUniversity of Fukuiが?)