The scene of a town may be delicate and sensitive like people's behavior, and also like corporate management. - JALとANAで些細な話題もありますが…。


浅草寺です。この光景は最高です。雨の夜にもライトアップは映えます。2014年6月。)

 先月、ある人のブログを見ていると次のような内容のことが書かれていたのですが、私がこれまで思っていたことをわかりやすくまとめておられ、腑に落ちる内容でした。それはブログ主が「ANAからJALに変えた理由」というもので、納得した部分はANAJALかではなく「企業も人間と同様に繊細で、些細な部分でも傷ついたところを修復しなければ全体が悪くなる。」という主旨についてです。

 ブログ主が具体的に挙げていた事例は、年初にANAが行った金髪とつけ鼻をした有名芸能人グループのCMです。このCMに違和感を覚えJALに変えたとのこと。元デザイナーというこの人は、JALが一時、鶴丸ロゴからJALロゴに変えた時は同様に違和感を覚え、ANAに変えたそうです。

 そしてその後JALは経営破たんしました。今回、ブログ主はこのCMをしばらくの間、辞めることができなかったANAの経営陣に警鐘を鳴らしておられます。私も同感です。問題に気付いてからどのような社内のやり取りがあったかにもよりますが、その内容によっては経営陣が引責すべきとも感じました。

 私がそこまで感じた違和感は、上記ブログ主と同じようで、しかし少々異なるかもしれません。これから国際線を増強していこうとする同社が、外国人を意識したと思われる「ヒトの身体的な特徴」をパロディ化している点です。まず同社の「経営センスの不気味さ」を感じました。外国人も顧客であるわけです。それ以上に国際的差別を差別とすぐに認識しなかった(できなかった)感覚、現場の広報担当者のみならず経営陣に真の国際感覚はなかったのでしょうか。大半が黄色人種の暮らす島国日本的感覚では気づかないものという言い訳程度で済まされません。いくら日本国内でのみ流すCMとはいえ、これは経営感覚以上に国際感覚として明らかに一線を越えており決してあってはならないCMであると私は感じました。

 もし言い過ぎだと感じられるようであれば、客観的に事実を認識してください。ANAは会社ぐるみで国際的差別映像を公共の場に発信しました。問題が指摘されてもしばらく放置していました。違いますか?

 このようなCMに対し、日本国民全員が「断固としてNo」といえる教養こそ「日本の」国際教育に必要です。例えいくら国際ビジネスの知識をもっていようが、語学が堪能であろうが、相手や他人を思いやることのできない内容を発信したり、日本の恥を発信していくような国際人では意味がありません。むしろ国にとって迷惑です。

 もちろん現場のANAの社員の方々は、私が知る限り、その多くが優れたホスピタリティを持ち人的にも能力的にも高いと思います。私は「日本人である以上、日本のナショナルフラッグキャリアをできる限り使う」という考えから、どちらかというとJALを選ぶことが多いのですが、同じ日系ですからANAに乗ることもしばしばあります。既出のブログ主さんほど徹底するのはどうかとも思いますが、少なくとも私にはできません(^^

 (参考) 過去のブログ → 日本のナショナル・フラッグ・キャリアについて(2013年8月)

 ところでANA機長がJALフェイスブックに暴言を書き込んだという昨日の話題は少々残念です。何を思おうが、ヒトの内なる思いに文句はいいませんし、正直な感情だったのでしょう。しかし社会人である以上、それを口にすることは慎まねばならない表現でした。思うことと、それを汚い言葉で口にしたり、文章にしたり、表情に出したりすることは分けねばなりません。

 ただヒトは完璧ではありません。ミスをするものです。この件をまわりが殊更荒立てるのではなく、深い反省があるものと信じて暖かく見守りましょう。繰り返しですが正論を述べることと、述べる表現や場所を選ぶこととは別の話です。

 さて、前置きが長くなりましたが、そもそも先月のある人のブログの話題を思い出した理由は、下の写真の浅草の景色をみたからです。
 
 
 (浅草寺五重塔(右)と東京スカイツリー(左下))

 冒頭の浅草寺で別の角度から空を見上げた瞬間、何か、いや相当な違和感といいますか、やはり不気味さを感じました。街の風景とスカイツリーが融合していないといいますか、バランスがとれていない。もちろん個人的な感覚ですから、技術と伝統の融合だろうという意見もあるのかもしれません。

 かつて浅草は日本一の歓楽街といわれていましたが、娯楽の多様化により昭和の半ばに衰退しました。しかし街の人々の努力により再び現在の浅草六区と呼ばれる地域を中心として賑わいを取り戻しています。
 
    
 (浅草といえばそのシンボル「雷門」です。)

    
 (歴史と伝統で統一するという地域の人々の努力が実ったのでしょう。いまや外国人からも人気のスポットです。)

    
 (私の大好きな忠臣蔵です。閉店後のシャッターにも一工夫ですね。)

 
 (雨でも人出が多いですね。)

 時として今の状態が当然のものだと思い込んでしまうのもヒトですが、ここまでの復活を地域の先輩方がどのような想いで取り組んでこられたのか、そして何でも歓迎するのではなく、先人の想いと反するようなことにならないか、この場合はどうなんだろう?そのようなことを思わず考えてしまう風景でした。

 おそらく浅草六区ほどの地域ですから、このスカイツリーの映り込みの影響というのは微々たるものかも知れません。しかし、その一方で若者を対象にしたり、開業して間もないということで一時的には人気がでるにせよ、このような、歴史と伝統が根付く地域ではスカイツリーの方が長続きするのか心配です。

 この浅草六区は私の関東お気に入り地域の一つなのですが、もちろんそこにはどこか懐かしさを感じる風景が多いことによります。浅草とは別にこの1週間でも懐かしいなぁと思うものに、いくつか出会いました。

 
    
 (途中に出会った朝顔と出張中のランチ)

 ステーキのほうではありません。レスカ!ですよ、そう炭酸レモン、レモンスカッシュです。もうレスカも死語でしょうか。若い人はわかりませんよね。最近見ることがあまりなかったので、思わず飲んでみました。朝顔は見るたびに小学生時代と源氏物語を思い出します。

 ちなみに平日になり、冷蔵庫の整理は進んでいません。先日も家に帰ると疲れてバタン、とりあえず少しでも処理をせねばと、卵を割ってオムレツに何を入れようかと迷っているうちにプレーンオムレツが出来上がり、果物もそのままパクパク。

    
 (手をかけなくていい果物はありがたい。あっという間に卵が固まってしまった…)

 卵もまだ7つあるので、昨日6つをゆで卵にしました。先日湯がいたブロッコリをつまみながら、メールをチェックしている内に30分以上が経ちました。ゆですぎに焦りました。しかし30分以上ゆでても「普通の」ゆで卵でした(当たり前か)。酢を混ぜたこともあるのですが、気のせいか殻が綺麗に取れました。昨日はそこで0時をまわりダウン。

 今晩こそは野菜をつかいます。ゆで卵作戦はある思いつきからです。野菜の多くを一気に調理する案、そう時期外れの「おでん」です。少なくとも、大根、にんじん、タマゴ、じゃがいもなどは処理できます。あとかぼちゃ、さつまいもは焼き野菜でよかろう、キャベツ、玉葱、椎茸、人参、あと1個のブロッコリは炒め物でよかろう。うんうん。あ、なすがまだ5本…。