Entrepreneurial ecosystemの主役は政府か大学か、それとも企業か?

 今日は朝の車上の雪払い作業に時間を取りました。久々です。福井市の最終降雪日がここ2年は3月26日と聞いて、本当かな?と疑っていましたが、ここ数日の雪から、それが現実であることを実感します。
 
 (今日は数日ぶりに通勤の途上、車がスリップしました)

 さてタイトルのentrepreneurial ecosystemとは、地域のアントレプレナーシップ(企業家精神)を創出するような大規模な集積のことを指します。研究所、大学、企業、サポート組織(経営や法律の専門家、産学官連携組織)、政府及び自治体の関係部署などが、物理的に集積しネットワークを形成しているという大規模なコミュニティという認識がわかりやすいかもしれません。日本の場合、似たものとして、大学を中心とする産学連携クラスターのものはいくつか存在しますが、欧米のようなentrepreneurial ecosystemと呼べる規模のものが存在しないため、まだ聞きなれないかもしれません。海外においてはアントレプレナーシップや産官学連携を語るうえでキーワードともいえます。

 先週、KRP京都リサーチパーク)で、ニューヨーク(アメリカ)とグルノーブル(フランス)のentrepreneurial ecosystemに関する講演があったため、参加してきました。

 ニューヨークの事例講演はDr. Andrew Maslowによる“NYC and Biotechnology”というタイトルでした。ニューヨークといえば金融と観光とイメージがありますが、実は今バイオベンチャー都市へと変わろうとしています。ニューヨークという物価、人件費、土地のすべてが高額という、一見ベンチャー創出に適さないと思われる地における取り組みの講演は、課題を明確にしながらも、官主導による着実な前進がみられる興味深い内容でした。

 グルノーブルの事例講演はMr. Thomas ILJICによる“MINATEC: A hub for Innovation”というタイトルでした。フランスのグルノーブルという小さな街における“MINATEC”というブランドをつけたentrepreneurial ecosystemに関する内容です。毎日、研究者と起業家らが顔を合わせることが重要という同氏の主張はもっともだと思います。そして高々人口が15万人の街に、大学、研究所、企業の関係者をそれぞれ5000名以上も集めています。いうなれば街自体がentrepreneurial ecosystemですが、さらにその一地域に“MINATEC”という名称を冠した集積地を形成します。まだ成否は結論付けられませんが、成功するだろうと思える事例の説明でした。

 日本では平成7年度に政府補正予算「大学院を中心とした独創的研究開発推進経費」において、全国の国立大学に研究所やベンチャー・ビジネス・ラボラトリーが作られました。アメリカでは当時、既に大学のまわりにベンチャーキャピタルや研究開発型企業が集まり、また大学発ベンチャーも数多く設立されるに至っていました。日本においては、アメリカのような大学城下町が形づくられるまでには至りませんでしたが、この補正予算後に大学発ベンチャーの数は年々増加し、当初の目的は達成したといえます。

 この数年は外部環境の悪化もあり、その成果が伸び悩みつつあります。また欧米では既に次のステージといえるentrepreneurial ecosystemの形成に移っています。日本も研究成果の創出という、出口をより見据えたentrepreneurial ecosystemを目指す転換の時期なのかもしれません。

 海外の事例を見るとentrepreneurial ecosystemが従来の大学を中心とした産学連携(点的、線的)や産学連携クラスター(小規模面的)と違うのは、規模の大きさもさることながら、その推進主体だと思います。1つの大学を中心とする形ではなく、大学および研究所を「全体を構成する一要素」とし、複数の大学と研究所を取り込み、自治体が主導となって企業やサポーターを誘致している点、さらに明確に起業という出口を見据えている点といえるでしょう。このような出口を意識した形に変化しつつあるのは、大学を中心とした産学連携では産学の共同研究も含むため(もちろん産学共同研究も必要です)、産業創出という目的(成果)に絞れないという実情もあるのかなと感じました。

 繰り返しになりますが、日本においても非首都圏(首都圏ではそれなりに集積ができている)において、やはり大学中心の産学連携集積をより発展させ、欧米のようなentrepreneurial ecosystemの構築のステージに入る時期かもしれません。欧米では自治体がentrepreneurial ecosystem推進の主役ですが、日本でも地方への分権が進めば、グルノーブルのような大都市とは異なる、地方都市の成果を伴う独自性をもった街づくりが行われることでしょう。

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 このシンポジウムが終わってから、久しぶりに京都の五条通りや四条と五条の間の木屋町通りを歩いてみました。京都でも、私の生まれは京都市の北のほう(正確には北西)ですので、四条より南は通過することがあっても、目的地としてはほとんど行かないものなのです。
 
 (五条通り(堀川通りとの交差点):京都のベンチャー企業や研究所、京大桂キャンパスなどが位置するベンチャーストリート、縦の通りじゃないので5th Avenueといえないのが少し残念)
 
 (四条木屋町下る(木屋町通り):京都を離れると、京都にいた時の景色とはまた異なって見えます)

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追記:

 外国メディアの反応をみて、助け合いとモラル、冷静さ、秩序、思いやり、etc.これら私たちがもつ大和魂、かつてアメリカが恐れた私たちの魂を改めて認識します。

 しかし海外のニュースサイトにある、日本のメディアでは公開されていない福島原発の爆発映像には驚愕します。屋内退避ではなく、発表以上の圏外退避に越したことはありません。ただ避難のためのガソリン燃料が最も不足しているとのこと、陸上で限界があるならば、海上から避難経路の確保、燃料の輸送ができないものでしょうか。

 私が毎朝10分ほど、ちょこっと出勤前に操作するオンラインゲームなどでは、ここ数日、双方向的な行動やイベントに自粛の動きが見られます。また学会関係のイベントでも中止の動きが広がっています。

 これらに関して、自粛という気持ちは十分によく理解できます。しかし実施や行動が可能であるならば、通常通り実施すべきです。自粛という行動は今以上に日本経済を悪化させます。冷静になり総合的な視点で考えてみてください。すると自粛により得られるものは何なのか、さすがに自己満足という極論までは主張しませんが…、そして失われるものは何なのでしょうか。

 可能な場所では通常通りの経済活動を行うこと、その経済活動自体が経済機能の維持(自粛によるさらなる経済循環の悪化の阻止)につながり、結果として復興のための支援につながります。自粛は多くの場合、経済活動では逆効果です。もし自分の心が納得できないならば、そこで生まれた利益・副産物・その他を、少しでも復興のために寄付するなり、自らが何か行動に回すなりすればよいのです。

 また周波数の関係で西日本の節電は効果がないと言われます。しかし節電以外にも買占めをしない、インターネットで簡単にできる義援金など、多くの可能性があります。引き続き私たちができる限りのことをしていきましょう。

 避難地域の方々、被災地の方々の一人でも多くのご健康と震災の復興を心からお祈りします。