ナショナル・アイデンティティ (National identity) の欠如!?

 私は社会的な活動も含めると常にカレントな名刺が数種類存在します。その中の一つに日本国旗がプリントされているものがあるのですが、その名刺を出す機会があるとき、おおよそ次の2種類の反応が返ってきます。

 1.「なんて素晴らしい!」
 2.「これはまた凄い…!」

 この2種類の反応はどちらもトーンが中立じゃないですよね。実はこの名刺に記載されている会でも、名刺に日本国旗をプリントすることに関して(正確にはその名刺を見た人の反応に関して)、話題になったことがあります。

 これらの反応からいえることは、少なくとも日本国旗が一部、または多くの日本人にとって無意識的に受け入れがたい存在である可能性があることです。私は日本国旗に関して専門的に研究しているものではないので(ちなみにこの分野は、文学なのか社会学なのか?)、下手にその是非を主張する気はありません。ただこの自国の現状には問題意識を持っています。

 敗戦国の負い目なのか、戦後の愛国心教育の希薄さがもたらしたものなのか、その原因追及は専門の学者に任せましょう。大事なことは自分の所属している国の象徴である国旗に若干の(人によっては相当の)違和感をもっているということです。国歌も、王室(皇室)に対しても同様です。

 これは完全にナショナル・アイデンテティ(国への所属意識)の欠如です。このように考えると、竹島北方領土問題の不法占拠に関する我が国全体のトーンの低さ(少なくとも相手国との比較における問題意識の差)も説明がつくわけです。

 本当は他人事ではなく、自分事です。明日は自分たちが住む土地がない、ということを認識して、はじめて焦っても遅いわけです。いまこうして安心して暮らせるのも、ビジネスができるのも、日本という国家に主権があるからです。竹島北方領土を除いた地域では日本の主権が守られているから各種産業活動(いちばんわかりやすい例が漁業)ができるのです。過去に北方領土に住んでいた人たちは私たちが当たり前のように享受しているこの生活を奪われてしまっています。それらの島の近くの海域で漁業によって生計を立てている人は、いつ捉えられるか、銃殺されるか(実際に北方領土では、漁業をしている方がロシアによる銃撃で死亡しています)という命の危険と隣り合わせです。

 他人事ではなく、同じ日本人に起こっていることです。世界にも住む土地を奪われて、諸外国でばらばらに暮らす民族もいます。明日は我が身、それは他人事ではないということを認識しないといけません。

 そもそも日本国旗のストラップを携帯につけている私をライトサイドと勘違いする人がいます。自国の国旗をもっていて、違和感を感じる国って、世界を探しても日本ぐらいじゃないでしょうか。軸をどこに置くかという話でいえば、この当たり前のことに違和感を覚える人は、俗にいうレフトサイドになります。国際的にみれば、全体の軸がレフトサイドに寄っている日本、これが我が国の痛く悲しい現実です。

 このような国民性の環境で育ったビジネスマンが、世界を相手に胸を張ってグローバルビジネスができるのか、と。

 ほっぺに日の丸を描く「サッカーのワールドカップが毎日あればいいんじゃないか」とさえ思っちゃいます(笑)