ゲームがメインの学習教材になる日

 なぜ人はゲームに惹きつけられるのでしょうか。ゲームと学習の境目ってあるでしょうか。

 このテーマを、私は学生のころから考えていました。私は知る人ぞ知るゲーマーで、今でこそ時間的な制約から、ゲームに割く時間はかなり落ちましたが、学生時代は寝るか食べるか、バイトかゲームかといった日々でした。

 このような自身の実践経験(笑)と、ゲームについて様々に論じられている意見をまとめると、どうやら多くのゲームに共通するポイントは以下の3点に集約できそうです。

1.ハプニング(偶然性)
 ボードゲームさいころを振る、デジタルゲームで乱数により結果が決まる、このような自分の意志とは無関係なことが起こるから、「何が起こるかわからない。」というワクワク感が生まれます。逆に計算することで結果が見えてしまえば、取るべき行動も1つとなり、ゲームではなく処理行動になってしまいます。プロ野球でいう、敗戦処理とか消化試合みたいなものですね。

2.駆け引き(戦略性)
 じゃんけんは偶然性だけの勝負でしょうか。きっと多くの方が、じゃんけんでチョキのアイコが2〜3回続くと、次は相手がもう一回チョキを出すか、どうか一瞬にして考えると思います。そして相手がチョキを出すと思えば、自分はグーを出します。相手がこの考えを持っているなと察すれば、その裏をかき自分はパーを出すでしょう。ここで「でも、もしかして相手がチョキのままだったら、自分が裏をかいたつもりでパーを出したらむしろ負けるな。」と思えばどうでしょう?(暴動が頻発するようなある国では、ここでどうにも思考がフリーズしてしまい、発狂してしまうかもしれません←元ネタは先日のブログw)このような駆け引きにおいて、じゃんけんに代表される三つ巴は基本中の基本ですね。

3.勝利の美酒(優越感)
 この3点目は、ゲームの要素として語られることは少ないのですが、私は上位3位の要素に入れてもいいと思っています。たとえ対NPC(Non-Player Character)であっても、勝利するとうれしいものです。その相手が人ならもっと嬉しいです。ボードゲームなら同時に対戦している相手、ここ最近はオンラインゲームが流行っていますから数多くのプレイヤーに対する優越感が得られます。また人というのは成果を報告する人がいて、褒められたり叱られたりすると励みになります。「やったったで〜」というアピールが、これまた心地よいのです。(某赤い団体の機関紙なんか、独りよがりの「こんなこと、やったったで〜」みたいなアピールが多い気がしますw)

 で、何が言いたいのかなのですが、私の研究分野のひとつに「起業教育・金融経済教育にゲームを応用する」なるものがあります。学習というのは座学に限りません。要は学習の目的を達成できる効率的な手段であれば、そしてそれがデメリット以上のメリットを生めばよいのです。

 最近の若い人は抵抗が少なくなりましたが、いまでもゲームというとネガティブな反応を示す方が多いです。たとえば「ゲームをやりすぎると、思想が狂暴になる」とかいう人がいます。それは内容の問題で、ゲームに限らず本や映像でも同じ内容なら、程度の差はあれ、同じ現象が生まれるでしょう。むしろサボることを考えながら、イヤイヤやる学習より、頼むからあと1時間やらしてというようなゲームをベースとする教育のほうが、遥かに効果が高いはずです。

 詰込み型の学習一辺倒で、ゲームをしない子供にとって、戦略性の育成ができるのか心配です。また今の世代ですと、パソコンの基礎的操作は必須です。以前に他大学の授業でパワーポイントの操作を必要とする授業をやりました。学生を見ていて思ったことがあるのですが、PCをはじめて間がなくても、その処理や理解が速い学生は、必ずと言っていいほどゲーマーでした。これっていわゆる「デジタル脳」という育成ができているということじゃないでしょうか。(その一方で、アナログ世代の場合、やはり同じ時間学んでも、理解に苦しむことがあるようです。)

 なにはともあれ、上の1〜3の要素を取り入れたゲーム、最近、結構いろいろなネタが出来上がりつつあります(^−^)。

 ちなみに私は中学生のときに初代ファミコンで「松本亨の株式必勝学」というソフトにはまり、以来、そのような金融ゲーム、経営シミュレーションはほぼすべてやっています。(ちなみにこの株式取引ゲーム、今でも記憶に残っていますが、設定はありえないぐらい無茶苦茶でした。でも私的には秀作だと思っています。)大学生になり、PC-VANでオンライン通信によるゲーム(当時は文字情報のみで、他人と貿易の収益を競うという非常に単純なもの。タイトルは忘れてしまいました。)をはじめて以来、15年間はオンラインゲーマーです。