小学校で起業教育の授業実施!

 昨日、県内の小学校の先生に、いま私が作成している起業教育の教科書をお見せし、起業知識というよりはチャレンジする心の育成からはじまり、具体的な事例を用いて授業を行う旨の説明をさせていただきました。そのうえで、「教科書を作る側として、受講者の反応を知りたいので、一度、授業をやらせていただけませんか?」とお願いしました。

 すると、「面白いです。ぜひやってください!社会科の教科書では、お金の動きや会社の仕組みに触れていないから、子どもたちが理解しづらいのが現状です。先生のお話は、とてもわかりやすく、むしろありがたいです!」と言っていただけました。なんと5時間も時間を割いてくださるとのこと、11月後半ぐらいから取り組む方向で調整中です。

 今、プロジェクトで取り組んでいる教材、また構想中の教材は数多くあります。今回の授業は、私が作成しているものの実践になります。現在の日本の起業教育は、個々の教科書は素晴らしいものも数多くあるのですが、傾向としては知識の教授に偏っています。また知識だけをみても、全体として対象学年を設定し、それぞれが互いに体系化されているとはいいづらい状況です。

 まずは大項目として何と何が起業教育として必要なのか、そのうえで中項目として学年ごとに教える内容を配分(体系化その1)し、小項目まで分割したうえで、各学年でどこまでの深みを目標にするのか、さらに理解度のボーダーをどこに設定するか、というプリミティブさが要求されます。プリミティブさという点では、隣接学年(縦の関係)、および知識(経営、経済、社会)、アントレプレナーシップ(倫理観、道徳観、挑戦、その他数項目あります)とのバランス(横の関係)調整(体系化その2)が意外に難しいのです。その調整をしたうえで、達成のための方法も考えねばなりません。教科書による座学でいいのか、体を動かず体験型にするのか、その体験型は人数的な限界がないか(規模を拡大すれば破綻する教育モデルではいけません、実際に各地で取り組まれている起業教育活動は、良し悪しは別として、このパターンが多いです)、このあたりが実際に議論のポイントになります。

 この規模の拡大に関する考え方は、事業化にも似ています。一地域、小単位での起業教育ということであれば、生徒50名に対し、多数の教師を投入するOJT型や座学による教育で、相応の効果は見込めるでしょう。事業化に似ているといったのは、地域特産品の創出によく見られる失敗なのですが、「多額の補助金をかけて地域に根付いた新製品を開発しました、しかしそれは年商1000万円にも未たない市場規模です。」では、税金をかけてまで補助するビジネスとはいいがたいのです。つまり「多数の教師の特殊ともいえる労力が必要です…いまの日本に起業に関してそれだけの教師はいませんよ。この政策は小規模でしかできませんね。」ではいけないのです。

 少し別の角度から話をします。(一部、話が飛躍しているように思える点はご勘弁を…)市場から多額の資金を調達しビジネスを行うときを想定しましょう。その場合、リスクは伴いますが、株主から資金を託されたエージェントとしての経営者は企業規模の拡大を目指すのが本筋です。無謀な挑戦であったならともかく、結果として失敗してから、プリンシパルの株主が「小さな規模でよかったんじゃないのか。」とかいう意見を言うならば、それこそここで述べた考え方を株主が身に着けることが重要です(というか、このような起業環境の一例があるのも、日本で起業をするリスクです)。資本を有効に使おうとしない経営者は、経営学的には無能ですし、アメリカでは株価が純資産価値を割り、すぐに買収先としての対象となるでしょう。

 日本の上場企業にはまだまだこういう会社が多いのも事実です。外資ファンドが大株主になり、内部留保を吐き出せという考え方、時々ニュースになります。ニュースでは報道の仕方がネガティブにとらえられがちなのですが、きわめて理にかなっていることも事実です。むろんオーナー企業や、少数株主企業なら別です。(ちなみにオーナー企業で株式会社という意味不明な形態が多いのも日本の特徴です。何故に資本金を1000万円積んで、株式会社かと…。会社形態は他にもあります。まぁ、株式会社形態にしたほうが体裁がいい、と言ってしまえば、まさに日本的風習、もうそれまでなのですが。これも経営者が悪いのではなく、日本の周りの人のとらえ方の問題です。)

 この資本の活用に関する話での焦点ですが、教育政策研究としての起業教育を研究するならば、グローバルとまでは言わないまでも、全国展開を視座におかないといけないということなのです。地域の取り組み事例を紹介し(それは大切なことですが)、学会発表や研究会、発表会等でなぜかそのことで全国的な起業増加になるみたいな話をする短絡的な発表が散見されて、政策学としてみれば「?」ということがあります。それは地域活性化策」と言ってほしいと思うのです。こういうと、「なるほど、とても大事な話だ。」と、めっさ頷けるのです(^−^)

 かなり話がそれました(笑)。さきほどの教育の全国的な拡大の話に戻します。一地域におけるローカルな起業教育の実践ではなく、「起業教育研究」という以上は、少なくとも地域で行うのは試行であって、効果を希薄化させずに、それをどう全国縦断的に行う仕組みに広げていくか、が重要です。ここにプロジェクトとしての意義があります。(決して、ローカルな取り組みを否定するものではありません、念のため。むしろローカライズした取り組みは重要ですが、あくまでも大きな括りとして「起業教育研究」に取り組む場合という前提での話です。)

 私の個人研究でも、方法論ベースでこの全国縦断的な教育課題に取り組んでいますが(つまり「教育政策」の一部ということになります)、これが浸透するだろうか、ともすれば国内規模にもかかわらずいわゆるガラパゴス化するんじゃないか、という不安に襲われます(研究とは、気を付けないと独りよがりになってしまいますから…)。独善に走らないように、そしてそんな不安と格闘しつつの毎日ですが(といってもそれほど深刻にはとらえてもいないのですがw)、とにもかくにも今回の現場での授業実施は現場の先生や生徒自身と触れ合う機会となり、とてもありがたいものです!