ベンチャーの語源はアドベンチャー!えっ、何のアドベンチャー?

 今日も起業教育のテキストを作成していました。第1章から順番に作っているのではなく、まずは重要な項目、入れたい内容を配置し、それにどれだけの文章量が入るかを考えてながらやっています。なので、ばらばらに出来上がっています(^^;;

 さて、先日のブログ「日本は大航海時代のヴェネツィアとなる危惧!?」でも触れたのですが、株式会社形態のルーツは1602年のオランダによる連合東インド会社です。そして1600年のイギリス東インド会社のほうが先ですが、現在の株式会社とは少し違うので、オランダがルーツと書きました。今日は、ちょうどその部分に触れたので、大航海時代のヨーロッパ勢力の移り変わりとともに、記載していました。

 しかしいつも思うのですが、一つの発見が激しく国家の盛衰を左右するというのは恐ろしいものです。1400年代前半の香辛料貿易は、エジプトや中東あたりの地中海側から陸路で運ばれてきた香辛料を高値で買いこみ、そして船に積み込む。地中海の東の隅から、西へ西へと香辛料は運ばれます。そして西ヨーロッパや、北ヨーロッパへ行く頃には、恐ろしく高値になっていました。また地中海を東隅から西隅へ運ぶということは、その間にあるイタリアの都市国家が反映するわけです。私が贔屓の水の都ヴェネツィアも繁栄したわけです(^^)。

 それが1453年、かのコンスタンティノープルの陥落で東ローマ帝国が滅びてしまい、オスマン・トルコがエジプトや中東に進出してしまいます。するとこの貿易ルートが、エジプトや中東で遮断されてしまうわけです。ヴェネツィアの国力も衰えていきます。そしてもちろん西ヨーロッパや北ヨーロッパの国々も、貿易品が入りにくくなり、困ってしまいます。

 しかしこのような困難なときこそ、航海者の出番です。1488年ディアスによる喜望峰発見、1498年のガマによるインド航路発見という2つのポルトガルによる成果は、地中海経由の貿易に頼らないインドとの貿易を可能にし、ポルトガルの地位を急速に確固たるものへとしていきます。先のブログで記入したように、スペインもポルトガルにまけじと、1492年のコロンブスによるアメリカ大陸発見、1521年のマゼランによる世界一周と成果をだします。

 このような諦めないたゆまぬ努力により、大航海時代の世界貿易は大いに栄え、そしてこの貿易ビジネスという一大プロジェクトが、現在の株式会社のルーツ、1602年のオランダ東インド会社の誕生につながります。やはり一つのイベントが国の盛衰に大きく影響すること、また発見が国を救うことを改めて認識します。(ですので、やはり教育研究予算は重要だと思うのです。航海が社会科学なのか自然科学なのか不明ですが、分野を問わず教育研究予算はせめて対GDPで先進国割合までは。。。)

 さて、先日、オランダとイギリスの東インド会社、何が違うの?って聞かれたのですが、一言で言ってしまうと、イギリスの東インド会社は、当時は一航海ごとに清算をしていて(のちにオランダと同じ形態になります)、オランダは各回の清算ではなくその出資を次の貿易にも持ち越すという方法をとったわけです。すると現在の株式会社の形態としての、「出資した権利の譲渡」「配当金の分配」という制度もここで生まれます。

 この東インド会社が現在の株式会社のルーツというと、多数の投資家が出資するという「リスクの分散」や、お金を出し貿易を依頼する人(出資者)と実際にその冒険をする人(代理人)との関係の誕生、いわゆるプリンシパル・エージェント関係」だけと思っておられる方が多いのですが、実際には上記のようなまさに資本主義のベースである、株式発行市場と流通市場の概念、配当の考え方が誕生しているほうが重要だと思います。

 今日は上記のような内容を、できるかぎり噛み砕いた内容で原稿の執筆にあたっていました。

 ちなみに余談ですが、ベンチャービジネスベンチャー(venture)という言葉は、和製英語です。国際学会とかでventure businessというと通じません。私は一応ベンチャービジネスは、start-upとかいいつつ、そこに日本でやや含まれているイノベーションなどの概念を追加説明することもあります。

 このventureという言葉、adventureが語源だといわれています。もちろん、この大航海時代のadventureのことでしょう!もし起業教育においてventureという言葉を出すなら、まずはじめに、この大航海時代の先人たちの命がけの挑戦、そして株式会社の形態の誕生に触れたいなぁ、と思っています。

 そんな気持ちで、今日は頑張っていました。って、今日は世間は休日か…。そろそろ家に帰ろう…。