忠義の志、武蔵坊弁慶の泉(大阪府池田市)

 武蔵坊弁慶といえば、五条大橋源義経に出会って以来、義経に忠義を尽くした家来とされています。やんちゃが過ぎて(?)比叡山を追われ、転々とした後、ある時より道行く武者に決闘を挑むようになり、999本の太刀を集めたそうな…。
 あと1本で1000本というところで、弁慶にとっての人生の転機が訪れます。笛を吹いて五条大橋を渡る小柄な義経に出会うのです。弁慶はその義経がもつ立派な太刀を奪おうと決闘に挑みます。しかし義経はその小柄を活かし、五条大橋の欄干を自由自在に動き回り、弁慶を翻弄します。そしてとうとう弁慶は降参したとのこと。
 その後、弁慶は義経に忠義を誓います。しかし義経は、兄 頼朝との対立に敗れてしまいます。弁慶は追われる身となった義経に従い、行動を共にします。
 弁慶の最後は、「弁慶の立往生」として有名です。岩手県の衣川館にて…。義経は、奥州の藤原氏に身を寄せますが、藤原秀衡の死後、その子の泰衡は頼朝を恐れ、義経らがいた衣川館を襲います。多数の敵が押し寄せ、到底勝ち目のない戦…、それでも弁慶は体を張って義経を守ります。五月雨式に飛んできた矢をその身で受けとめ、敵を通すまいと、立った状態のまま往生しました。死してもなお、主君を守りつづけたのです。

 という話(かなり私的に省略して、まとめてしまっていますが)を先週に思い出す機会がありました。私は江戸時代のお話、忠臣蔵が大好きなのですが、時代は違えど、同じ忠臣ぶりを描いたこのエピソードにも心を打たれます。

 先週は第8回全国VBLフォーラムが大阪大学で行われ、出張してきました。2日にわたる密度の濃い会議でした。例年のVBLフォーラムとは、かなり異なる雰囲気です。というのも、全国45国立大学に設置されていおるVBLの(おそらく)多くが、起業教育へと大きく舵を切ることになって最初の会合であり、そのため2日とも主要なテーマは起業教育を中心とした今後のVBLのあり方でした。

(注記)VBL:ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー、全国のほとんどの国立大学に設置され、今は名前が変わっている所もありますが、そのほとんどが今も存続し、その時代時代に応じた役割を果たしている、中核的な研究機関のことです。

 さて、冒頭の話を思い出すきっかけですが、今回の出張は大阪大学豊中キャンパス、阪急電鉄石橋駅です。この場所は、大阪府池田市兵庫県伊丹市とも近く、となると「弁慶の泉」のある場所にほど近い!

 よって伊丹空港のすぐ近くに泊まり、2日目は朝9時開始なので、8時に出発し、伊丹空港から電車に乗らず(電車だと「伊丹空港駅」から「石橋駅」まで、U字型に回り込む形になる)、伊丹空港から大阪大学まで最短距離を突っ切る形で歩きました。目的はその途上にある、この「弁慶の泉」です!

 
 
 
 

 義経らが西国落ちの途上、この辺りで多田蔵人行綱らとの戦いになった時、武蔵坊弁慶が喉を潤した池だそうです。大きな石です。弁慶のまっすぐな忠臣ぶり、義経への忠義を貫いた人柄を感じる石です。

 大阪大学豊中キャンパスはとても広いキャンパスでした。

  
 (駅から5分ちょっとで西門?到着、安心するも・・・)
 
 (山です、坂です、とりあえず上ります)
 
 (小休止、いい眺めです)
 
 (まだ先があります、大学に入ってからのほうが長い?)
 
 (何かの像があります)
 
 (また小休止、いい眺めです)
 
 (会場につきました)
 
 (1日目は早めに到着し、持参した本学のポスターを貼ります)
 
 (2日目は1日目のグループ討論を各ファシリテーターの先生が討論されました)

 VBLフォーラムでは有意義な時間を過ごし、義経の忠臣、弁慶の志にも触れことができ、共に大満足の大阪出張でした。

 ちなみに五条大橋におかれている義経と弁慶の像は、京都青年会議所が寄贈したものです。かつて京都JC入会時、そのセミナーで朝一番に磨きに行ったものです。なつかしい。

 しかし実際に弁慶と義経が出会った頃、五条大橋はまだ完成していなかったので、この出会いの話に関しては逸話ということになりますね^^;;

 ついでと言えば何ですが、この五条大橋を東に50〜100mほど、北側に「弁慶」といううどん屋があります。私は京都に住んでいた頃は、よく行きました。とても美味しいお店ですので、近くに行かれることがあれば、ぜひ寄ってみてください。その南側には「半兵衛麸」という、麸とゆばの専門店があります。ここでもお食事ができます。こちらもお勧めです。

 そういえば昨日は12月14日(これは旧暦なので、実際に西暦でいうと来月の1月30日です)、赤穂浪士がついに討ち入りを果たし、主君の無念を晴らした日でした。こういうエピソードを知るたびに、日本人に生まれて本当に良かったと思います。