The founder preferred developing society to getting his profits. −めんたいこを作った人が特許や商標権よりも重視したもの


(「ふくや」ではありませんが「福太郎」の店舗に併設のカフェにて「福太郎の綿盛りボウル」!美味しかったです!)

 3月にはキャリア・アントレプレナーシップに関係する講演を含め、2回福岡(博多)に出張する機会がありました。時々出張する際は「とりあえずビール」のような感覚で「通りもん」を買ったり、季節によっては珍しさから「ぶどう大福」を購入していました。そのようなわけで今まではさほど気にしなかったのですが、改めて「福岡のお土産は?」と考えると、選択肢に「めんたいこ」関連が挙がります。

 実際、空港のある売店に書かれていた売れ筋1位は「通りもん」ですが、2位と3位は共にめんたいこ製品でした。2位のめんべいは先日、福岡から来られた方にいただき、はじめてその存在を知ったのですが、とても美味しかったので今回何個か購入しました(^^
 
    
 (1位は「通りもん」ですが、2位は「めんべい」、3位は「明太えびせん」だそうです。今回は2位と3位のほうを購入し…。)

 
 (また「チューブめんたいこ」も買いました。こちらが下記のエピソードの「ふくや」さんです。)

 さてこの明太子、その誕生には有名なエピソードがあります。

 空襲で焼け野原だった中洲に「中洲市場」ができ、引揚者に割り当てられるということで、釜山から引き揚げてきた創業者川原夫妻が引き揚げ時に手にした3000円で、昭和23年に「ふくや」を創業します。最初10年程度はほとんど売れず作っては捨てる毎日だったそうです。昭和35年頃から中州の小料理屋で酒の肴として評判になり売れ出したようです。

 昭和39年の新幹線の開通、東京オリンピックでの実施で全国に広がり、博多まで新幹線が伸びた昭和50年に売上が本格的になったとのこと。苦労をして明太子を作り、ようやく爆発的に売れ出します。しかし周りの人に特許や商標権を取ることをすすめられても、ご主人(川原俊夫氏)が「博多にいろんな種類の明太子ができて、お客さんが好みのものを食べれるのがいい」と言って拒んだそうです。

 そのようなことで競合が増え、関連商品もどんどんバラエティに富んで今に至ります。このエピソードを聞くと、空港の売店の明太子一色のコーナーには今は亡きご主人の素晴らしい想い、特許や商標権よりも重視したものの大きさを感じますね。

 詳細はこの西日本シティ銀行のサイト(→リンク)に書かれています。上記はその要約ですが、お時間があるときにぜひ上記サイトを見てください。

 ちなみに余談ですが、新幹線の博多までの開通で、博多はこのように栄えていきましたが、一方でそれまでの西の終点とされた下関は衰退したといわれます。新幹線1つが大きく地域の発展を変えることがわかります(福井にも新幹線が伸びる計画ですが、政策科学的に検証すると功罪双方が存在します)。

 さらにこのエピソードで、税金に関する下りがあります。「この立派な道路を歩ける。子供は学校へ行ける。みんな税金ぞ。利益を出して税金ばうんと払う。それが当然ばい」(川原俊夫氏、上記サイトより引用)という言葉なのですが、私はこの言葉(国への想い)とアントレプレナーシップには強い結びつきを確信しています。この件は後日機会があれば書きたいと思います。

 偶然なのですが、1回目の5日の出張の時は、読売新聞が朝刊で「国家戦略特区において福岡市を起業特区にする」という記事を公式発表前にすっぱ抜いていました。2回目の28日の出張の時に「福岡市が国家戦略特区の雇用特区に指定」という28日の公式発表を受け、29日には各紙に掲載されていました。福岡が新たな雇用を生み出すスタートアップ都市になれば素晴らしいのですが、「めんたいこ精神」をこれからも忘れない街として、そして福岡からも日本の大きな発展につながることを期待します。

 4月になりました!
    
 (なぜメジャーで測っているのかと思えば、4月は学生にとって健康診断の季節ということですね。ということはしろたんも在学中なのか?w)