Maybe it's best not to be made ambiguous! - 日本的な玉虫色の心地よさ


(今回のハイアット宿泊は都庁とは反対側でした。高層ビルが少々視界を遮りますが、それでも綺麗な夜景です!)

 明日の授業資料を打ち出そうとすると…、印刷がおよそ赤い状態に。良くいえばセピアっぽいレトロさが醸し出されています。って、授業資料なので、それはよくないですね。

 最近、微妙にプリンターの調子が良くなかったので、とうとう寿命かと心配しつつ、数分間、原因がわからずもやもやしていましたが、一瞬で解決しました。さきほどプリンターのインク交換をしました。その時が怪しいと、交換したインクカートリッジを見てみると、「イエロー」のカートリッジのはずなのに(カートリッジ自体に「イエロー」と記載)、なんと中身のインク自体はどう見ても「マゼンタ」です。

 大学は純正品を購入しているはずなのですが…、まぁ仲介事務用品業者の偽装もどきの工作でもないとは思いますが…。もしかすると大学がリサイクルカートリッジを購入していて、詰め替えの際に間違いが起こったのでしょうか?個人的にはこういうのは気になるほうなのですが、事務室の方が購入されたのがかなり前ということなので「まぁ、いいか」と(^^

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 偽装というと、最近は外食産業が敏感ですね。先日、ユアーズホテル福井という当地ではそこそこ名の通っている(?)ホテルで食事をしました。1年ほど前、市内の別のホテルの日本料理を食べた時は残念な結果でしたので、それ以来、市内で日本料理を食べるのに少々抵抗を感じていました。しかしユアーズホテル福井はホスピタリティも味も良かったです!(ちなみにこのホテルは「個人的には」他の料理も当たりだと思います)

 → およそ1年前の残念なホテルでの感想(リンク)

    
 (今回は当たりのユアーズホテルの寿司懐石です。でもどのような魚を使っているか詳細があればなお楽しめたのですが…)
    
 (私はどちらかというと「おすまし」派です)
 
 (魚はもちろん大好物です)
    
 (こちらがメインのお寿司です。右の野菜寿司というものも面白いです)
    
 (デザートも満足)

 ただ少しだけ残念なことが…。当ホテルは前からそうなのかもしれませんが、献立表に詳細な記載が載っていません。「どこどこ産の何々のテリーヌ」とかそういう言葉を見るのもまた楽しいのですが、それがないのは昨今の偽装騒ぎに関するリスクを恐れてでしょうか?

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 先週は起業教育や産学連携教育に関する自身の研究で、徳島と東京に出張していました。徳島では、ある大学の学長(前職場の上司)に「ふぐ」をご馳走になりました。

 思わず「徳島といえば『ふぐ』ですね!」というと、「いや、徳島は『はも』ですよ(笑)」と(^^; たしかにそうでした。昨年、徳島に来たときには、「はも」を食べていました。

 → 昨年に徳島で阿南市の鱧を食べた時のブログ(リンク)

 ということで、お店の人に「このふぐはどちらで水揚げされたものですか?」と聞くと、「少し待ってくださいね」とのこと、結局返答がなかった…。これもリスク回避なのでしょうか?

    
 (「てっさ」からスタート、そして鍋に入れる「ふぐ」)

    
 (野菜も来たので、鍋に投入)

    
 (「ふぐの唐揚げ」に最後は「雑炊」で〆ます)

 
 (「ひれ酒」一杯だけでお酒が弱い私は酔う酔う^^)

 翌昼は「鳴門うどん」を食べて、しかしそれだけでは昼ごはんとして少ないので、結局徳島の地元料理とは関係のないレストランに入り、しっかり食べてから東京に移動しました。

    
 (長距離移動前に「鳴門うどん」だけではお腹がすくという理由をつけ、ハンバーグを食べなおし^^)

     
 (左:大学キャラクターグッズ「しこぽん」を頂きました!/右:なんとなく惹きつけられた吉野川近くの空きテナントに掲げられた「起業家(募集?)」の看板!)

    
 (翌日の東京では、街はクリスマスムード、ホテルのロビーもクリスマス!)

 かつてPeter F. Drucker [1986] はその著書“Innovation and Entrepreneurship”の中で、アイデア(特許)をもとにしたイノベーションの多さに言及するものの、そのリスクの大きさに触れ、その原因を、あまりに「漠然でつかみどころがない(vague and elusive)」と述べました。日本ではここ最近のマスコミによる偽装報道で、どのお店も明確さを打ち出していますが、(もちろんそれが悪いことではないのですが)「曖昧さ」というものがなくなると少し寂しいかもしれませんね。