When you trade, why don't you check a price? − ぼったくりという事象は存在するのか?


(わが家のベランダ栽培のオクラです)

 今朝起きて、ふとベランダを見ると、ベランダ栽培のオクラになんとこんな大きな実がなっていました。そろそろ収穫時期かな?

 昨日、火曜日の授業も後期がはじまり、さっそく授業ガイダンスを行いました。後期は「キャリア教育」に関する授業ですが、現代社会における経済事象(ミクロ)についても触れます。今年は「価格の機能」をはじめ「市場理論」の内容をこの後期にもってきました。価格のない社会は割当機能、需給の調整機能が働きにくく、どれほど不便かは容易に想像がつきます。キャリア教育は就職活動対策ではありませんから、このような現代社会における経済の仕組みをはじめ、日本人アイデンティティや戦略的な人生設計、個と社会のかかわりなどを、今年も授業内容として予定しています。

 先の週末は東京から福岡に移動し、全国VBL大会に参加していました。今年はますます多くのVBL(およびその後継部署)がアントレプレナーシップ教育、MOT教育にその重点を置きつつあることがわかりました。

 
 (今年は九州大学の西新プラザで開催されました)
 
 (大きくはありませんが、綺麗な建物です)
 
 (事前に送付していただいていた本学のポスターを貼りだします)

 2日間にわたって開催されたので、1日目の夜は親しい先生方6名で屋台に繰り出します。

 
 (お酒だけでなく、おでん、餃子、ラーメンなど何でも揃っています)

 経験上、中洲の屋台は高いので、天神の屋台に入ります。店主の方に聞くと「中洲の屋台はよそ者価格となることがあるらしい」とのことでした。

 日本に住んでいると、コンビニやデパート、スーパーのレジ慣れをしているせいか、価格表示による明朗会計が当たり前と思いますが、価格が表示されていなければ当然そのようなこともありますね。そもそも価格というのは需要者と供給者が合意すれば決定するという見方もできますから、事前に合意なしに発注するという考えがまずいのかもしれません。日本でも「時価」と表示されているところを時折見ますが、もちろん発注前に確認しましょう。私はそのようなお店では先に予算を伝えておいて「予算内でお任せ」的手法をとります。

 さて「ぼったくり」という言葉がありますが、実際には存在しない事象かなと思います。価格の合意なしに発注すれば消費者側の責任も免れません。一方で事前に表示した価格と異なる請求をすればもはや「ぼったくり」ではなく「詐欺」となり、供給者側の問題となります。さすがに天神の屋台はきっちりと価格表示をしてくれています。いいお店でした(もちろん今時ですから、屋台のほうが居酒屋チェーン店よりはやや高めです)。

 東南アジアの中華街など(他の国はわかりませんが)にいくと、日本人とわかるや、店員がメニューに載っていないものをすすめてくるときがあります。価格の確認は絶対に怠らずに!!うっかり注文すると、思いもよらぬ金額を請求されます。これを私たちの日本語では「ぼったくり」といいますが、よくよく冷静に考えると、向こうにすれば価格の確認がなかったわけですから「いくらでもいいから持って来いということだと思ったんだ」なんて言われたら、文句は言えませんよね…。実はこちら側の問題です。

 日本人的感覚からすればいちいち価格を尋ねることは少々いやらしいような気もしますが、さすがにこれだけ東南アジアによくいくと、最初に覚える言葉が「こんにちは!」「これ、いくら?」のどっちが先かというくらいになってきました…。

 日本人が外国でこのようなトラブルに合うのは、伝えようとする努力をしなくても相手が察してくれるという日本の言語文化の経緯があったことに原因があるのかもしれません。いわゆるハイコンテクスト文化といわれる、共有性の高い文化が続いてきたからですね。

 外国人との会話では明確にすべきことでも、日本の中(特に日常の業務)では曖昧さを求められる場面が多いものです。ただ仕事などでは、相手の立場、規則との矛盾など、どうにもならないこともあるでしょうから、敢えて相手を思いやり、相手の思惑を理解した上で、その相手の思惑を受け入れることも大切なのかな、と思います。もちろんトラブルになれば、相応の対応を覚悟しなければなりません。