「何が悪いのか」の本質は複合要因?−Wall Street is playing the Facebook blame game.

 "Wall Street is playing the Facebook blame game."(Wall Street Journal, Web)とのことで、2日目にして早速公募価格$38を割り込み$34.03まで下落したFacebook株について、その悪者探し、非難合戦が始まっているようです。

 "Some fingers are pointing at Morgan Stanley, the lead banker on the I.P.O., while others criticize Nasdaq and even Facebook itself. In the aftermath, critics contend that Facebook's offering price was too high and too many shares were sold to the public, hurting the stock's performance out of the gate."(同)

 ナスダックやFacebookそのものにさえ非難が集まる中、一部には今回の主幹事であるモルガンスタンレーを非難する向きもあるようです。確かに公募価格が高すぎな感覚もあり、市場に放出された量も多すぎたのかもしれません。また、ナスダック市場の初日の混乱も無視できないでしょう。しかしこのような非難合戦に結論がでるはずもなく、やはり複合的な要因が重なった結果だと思います。

 敢えて言うならば、かつてのIPOでは公募価格をやや低めに抑えて、最初に割り当てられた機関投資家はプレミアムを得る(昔は機関投資家から割り当てられ、個人にはなかなか回ってこなかった)という不公平極まりない図式まかり通っていたことを考えると、上場後の一定の期間は必ず公募価格を上回って推移するという構造が崩れたことのほうが、実は自然な気もします。

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 同じく「何が悪いのか」の本質については、現代社会で考えるべき話題に事欠きません。今日の大学院の授業では、日本の大学生の就職活動の実態を取り上げました。大量採用、大量離脱により、新卒就職者の半数が無職か3年以内に離職するといわれる日本、この事実に対し、現在、経産省や大学、民間が取り組んでいる事例を分析し、果たしてそれが解決につながっているかについて議論しました。

 私見ですが、就活のやり方や構造を変えることで、この問題が改善されるとは思えません。確かに就活において、中小企業の魅力を学生が気づいていないことは事実ですし、この部分に働きかけを行うことは必要でしょう。

 まずもって私が就活をした時代(すでにバブルは崩壊していましたが、それでも一部上場企業への就職レベルでしたら、今ほど難しくなかった時代です)と現在は大きく異なります。しかしそんな時代でも、離職が大きな問題になることはなかったように記憶しています。

 「言われたことは『とりあえず』黙ってやる。知らないことは『はい、喜んで』と実行し、内容を知ってはじめてNoという権利を持つ」などというとJC的な考えですが、これがやはり正しかったように思います。これは思考停止ではなく、むしろその逆で、後先考えずに拒否する、あきらめるという行動の対極にあるものです。経験しないとわからないこと、考えることすらできない事例は、数多く存在します。

 また「今の大学生は身の丈に合わない就活を行う」などという人もいますが、そういう「勇気とは無縁の無謀な挑戦」もいいんじゃないかと私は思います(私がそういうタイプですから)。どんどんチャレンジ、かかったらもうけもの、上手くいかなければ、その失敗の中で身の丈を知ればいいと思います。最初から「あなたの身の丈はここと心得ておきなさい」などというやり方はいかがなものかと思います(そもそもそういう人々がいう「身の丈」のものさし自体が歪んでいる可能性も)。

 それより大事なのは、やはり「出されたご飯はきちんと食べる」という考え方に今の社会が戻ること、トップの指示には原則イエスで行動する、そのようにならない限りは、いくら小手先の政策を講じたところで、何も変わらないでしょう。

 そんなこんなで、2週間後の授業では、この社会問題の解決策を創出します。せっかくですから、生まれた案を後輩が学ぶ学部の授業で紹介しようなどとも目論んでいます。大学院授業の議論で終わるのではなく、実際にその成果を学部生に対し役立てる、そうすることで授業の成果も無駄にならないですしね^^