知らないことの幸せと不幸せ?

 ここのところホリデーウィークにも関わらず、恐ろしく時間がなかったのですが、本日で一段落。ということで、先ほど気分良く大学の居室の資料を整理していると、1年前の資料が…。昨年に採択していただいた助成金採択通知の1つ…、「研究報告書は○×までに送付ください」という文言に目が行きます。「あ、報告書の締め切り!?」と気付き、にわかに焦りが、そしてその焦りが次第に覚悟に、この週末を潰す覚悟に変わりました^^;。

 気付かなければ今も幸せな気分だったかも知れません。

 今週は学部の授業で原発と産業の関係を扱いました。授業の前に「原発再稼動に賛成か、反対か」をまず尋ねると、(意外にも?)賛成が多い。「これは如何に?」と思いつつ、産業面からみた原発の存在を説明し、授業後に再度同じ質問をしました。さらに圧倒的多数で賛成派が増えました。授業後、何名かの学生が「広い視野で学んで考えないといけないと思った。知らないことで、マスコミの報道そのままの意見や、感情で判断を下してしまったかもしれない」という感想を伝えてくれました。

 確かに、知らないことで正しい判断が出来ていないことは多いように思います。ブランド崇拝、就職活動、その他…。

 賛成が多かった理由は、地域柄というよりは、工学を学ぶ学生が多いというところにもあったようです。

 そこで翌日の大学院の授業では、授業の前半20〜30分を使って、原発の再稼動について国益経済、科学技術の振興、世界的な視野など、それぞれに思考の範囲を限定し、賛否の意見を求めました。このときに出た意見が「さすが、君たち、エンジニア!」と感じるものでした(ちなみにうちの大学的には「イマジニア」というようです)。

 内容を詳しく書きたいのですが、冒頭の理由でかなり危機迫る状況ですので、現在のタスクが落ち着いたら、また記載します(^^;