愚問です!−TPP交渉参加について、賛成派か反対派か?

 
 (大学のメイン通りの木)

 秋深しというより、もう冬が目前ですね。

 さて世の中では先日来、日本がTPP(環太平洋戦略的経済連携協定、Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)交渉に参加するかどうかについて、大きな話題になっています。TPPに対する考え方について、高々数十行のブログにまとめることができることでもないので、また賛否両派から敵を作りたくもないので(笑)、敢えて書きませんでした(授業でははっきり述べていましたが^^;)。ただようやく日本政府の方向性も固まったことですので、なぜ賛否両派の意見にそぐわないのか、後ほど少しだけその理由を簡単に述べたいと思います。

 それよりは大学前の唯一のスーパー「みつわ」が、来年1月で撤退することのほうが気になります…。名残惜しいので「みつわ」に行って「何か記念の品を」と探していると、コーヒー依存症の私にぴったりの商品がありました。

 
 (なんと濾過紙不要のお一人様用ステンレス・メッシュ型コーヒーフィルター!)
 
 (さっそく砕いた豆を入れてみます)
 
 (最初の一滴は置くように、そこから「の」の字を書くようにお湯を注ぎます)
 
 (香ばしい珈琲の出来上がりです!世の中が大きく変わろうとしている時こそコーヒーブレイク!)

 と一服しながら、冒頭の賛否両派の意見にそぐわない理由を簡単に書きます。確かに今回のTPP交渉参加は、日本の敗戦以来の大きな転換期になる可能性をもつ出来事です。しかしTPPに関してただひとつ言えることは、賛成派、反対派、どちらにも言い分があるとか、部分を取り出したメリット・デメリットを議論するレベルの話では、いつまでたっても前に進まないということです。当然、双方の言い分は概ね間違っておらず、全体としてはその複合的なものです。

 さらに個別案件で賛成派、反対派を述べる点は、個人の利害でものを言っている人々であるならば、短期的に見た場合、生活が懸かっていて当然の事ですので、まだ理解できます。しかしそのような短期的で直接的な利害により意見を言うのではなく、(いかにも総合的な視点で捉えている振りをして)正面切って賛成だ、反対だと明言する人を見るほど、甚だ滑稽なことはありません

 確実に言えることは、TPP交渉に参加しようが、参加しまいが、そのことが日本の将来を決定するのではないということです。TPP交渉に参加するにせよ、不参加にせよ、その後の日本の政策と行動次第で結果が変わります

 まずTPPは日米双方が加わると、現状では確かに基本的に日米間でのFTAの次元となります(ただし「今は」という前置きが必要です。賛成派のいう「アジアの成長を取り込む」というのも、将来的には間違いではありません)。その前提で、マスコミ等、世間一般レベルで語られる、日本からの輸出に関する関税障壁の有無ですが、これは極論を言えば、全く問題ではありません。日本製品の輸出に際し、(高々)数%から10%程度の関税がかけられていて、それが撤廃されるから素晴らしいのでしょうか。そんな議論をするくらいなら、円高ドル安対策に専念をし、対ドル100円水準に戻すほうが、言うまでもなく遥かに効果的です。

 一方で、日本は輸入米に700%以上の関税をかけています。これがいきなり撤廃されるのではなく、段階的に撤廃ということですが、その過程において、日本の米は消えてしまうのでしょうか?こちらも為替水準の問題を含め、価格差が3〜5倍程度に縮小すればどうでしょうか(もっとも個人的には、同額でも料理によってはタイ米を好むことがあります)。日本のコメ作りはそんなにダメダメですか?

 要は、関税障壁のレベルでの議論は、(個別の利害を除いて)賛成派も反対派も本質ではありません。むしろ相対的な円高による価格差のほうが、可及的速やかに対処すべき最優先の課題です。

 ではもう一歩踏み込んで非関税障壁に関してです。こちらも書き出せばとてもじゃないですが、論文の1本や2本の話ではなくなりますので、ここでは日本の制度が崩壊するとかしないとか、そういう話は省略して大雑把に書きます。

 金融、医療に関する制度の問題について、これらがすべて悪い方向に向かうことを前提としたプロパガンダが蔓延しています。

 では米国に逆に出ていく力を日本は持たないのでしょうか。見えている限りは持たないのかもしれません。今ある会社だけに目を向けるのではなく、これを機会に教育から日本の国際競争力を見直す機会かもしれません。

 そしていつまで日本は自国の産業を保護しますか(1990年代後半の金融制度改革を思い出しますね。この点から言うと、TPP参加、不参加は、「日本が黒船を前に開国し、再度、明治維新と同じく国際競争に挑戦するか」それとも「非効率ながら既得権益を保護し、このままじわじわ自国が沈むのを待つか」ともいえます)。しかしここはひとまず百歩譲って保護する必要があるとしましょう。では本当に守れないのでしょうか。米国は、自国の利益について守るべき部分は守っています。日本があたかも主権をもたず、または日本には政治力がないに等しいことを前提として、反対派運動が盛り上がっていますが、努力をしないことを前提とした仮定は、当然のことながら最悪のシナリオしか描けません。反対派がいかにも正しく思えてしまうわけです。

 だからといって、私が完全なる賛成派というわけでもありません。冒頭にも記載した通り、きっぱりと賛成、反対を述べるほど、この問題への回答に対する滑稽さを演出するものはありません。またこの決断に至っては、日本の将来の経済圏もかかっています。参加することがアメリカとのパートナーシップを強め、中国と距離を置くことになるのは確かでしょう。逆もしかりです。いずれにしてもリスクを伴います。

 繰り返しますが、どちらを選ぶにせよ、選んだあとの政策と行動にこそ日本の命運はかかっているわけであり、今の決断云々に良し悪しをつけるほど馬鹿げた議論はないわけです。キャリア教育の授業でいつも言っていることですが、現在の社会が変わらないことを前提としたキャリアデザインなどは無意味に等しいわけです。社会が変化することを前提とした時間軸に立って、自身の行動を策定することが、現在の決断に求められます。

 では賛否を示さず終わるのかということですが、敢えてという前提をつけて述べます。私はこのまま日本がただ小国へとゆっくり沈んでいくのではなく、TPP交渉参加を機会に、グローバルな交渉力と経済・経営競争力、産業知識を身につける教育制度へと変革する、このことこそ重要だと考えています。またとない機会であることは間違いありません。