"やらせ?"世論の誘導?九州電力の件で何が問題になっているのか?

 帰国して最初に耳に入ったニュースが、九州電力玄海原子力発電所の運転再開に関するケーブルテレビでの説明番組、通称"やらせ"といわれている件です。九州電力が子会社社員などに原発再稼働を支持するメールを投稿するよう依頼していたとされるものですが、この件が大きく問題視されているようです。

 世論を誘導しているとか、民意をねつ造しているなどと、一部の報道機関は否定的な記載をしていますが、この件で何が問題なのでしょうか。

 まず前提ですが、九州電力が「再開に賛成」であり、「賛成を社員だけでなく、地域住民その他すべての関係者に求めること」は、企業行動として当然のことです。ここに非難をする余地はありません。またこのような九州電力のやり方を稚拙という人もいるようですが、ではマスコミを通じて全国民に賛成してくださいと広告すればいいのでしょうか。むしろ社員による地道な広報活動という意味では、そのほうがマーケティングの基本に忠実な気がします。

 この前提においてあえて挑発的な書き方をします。まず以下のような視点で考えましょう。

① この番組に九電の社員がメールで意見を述べてはいけないのでしょうか?
 九電の社員も一国民です。特に原発がある地域の住民は、その多くの人々が原発関連の仕事に従事しています。その人たちの意見を封じ込めることこそ問題です。「自分は九電の関係者ではない」と偽ったうえで、メールを投稿していたならば、叩かれるのは致し方ありません。しかしそうではありません。繰り返しますが「地域住民の多く」が「原発関連の事業に従事」しています。
 前提とこの①で「問題があったのかないのか」(→おそらくないでしょう)、「何が問題なのか」(→敢えて挙げるなら、堂々と九電の関係者と名乗らなかった点ぐらいで、九電の企業行動に問題は見当たりません)については既に結論は出ているのですが、もう少し掘り下げましょう。

② 企業グループの意思は、従事する人も共有しなければいけないのではないでしょうか?
 原発再稼働を支持するメールを投稿するよう「依頼」とありますので、もちろん強制ではありません。ただし企業に所属する社員は、自らの利害も含め、組織の意図を考えたうえで行動しなければなりません。その意図が反社会的なものであり、自身の考えに反していれば、その限りではありません。

③ 今回の「依頼」は反社会的でしょうか?
 玄海原子力発電所の運転再開の賛否は、たとえ再開賛成であっても、反社会的とはいえません。

 では次のような視点ではいかがでしょうか。

④ 世論を誘導しているのか?
 世論を誘導しているのは事実かもしれません。ではそれは悪いことでしょうか?そもそも世論を誘導ということを広義で捉えれば、以下のように当たり前に行われています。
 [Ⅰ]テレビコマーシャルによる企業製品の広告による使用者の声
 [Ⅱ]選挙時における対立候補の政策に対する非難演説
 [Ⅲ]原発停止を求めるある団体の該当での署名運動
 [Ⅳ]通販において企業がインセンティブ収入を支払い個人に商品の宣伝のツイートをさせる
 内容が事実であり、誰かの名誉棄損にもなっていなければ、今までは問題とはなっていないようです。では今回の九電の件と違いは何でしょうか?
 私は[Ⅳ]のほうが遥かに問題だと感じています。a.商品の購入者がその声として称賛の書き込みやツイートをするのであれば、問題ないでしょう。しかしb.商品を購入したこともない人が、その商品を称賛するツイートをすることで他の消費者に購入させるというやり方こそ、品のない商売ではないでしょうか。もちろんそのツイート主は、他の消費者が購入すれば(場合のよっては購入しなくともツイートするだけで)収入が得られるという仕組みになっています。どこぞのサイトとはいいませんが、若者対象のファッション衣料系ネット通販サイトに多い手口ですね。
 九電の件では、a.でしょうか、b.でしょうか?私はa.に近いと思います。実際に利害を持つ人の声ですから。
 今回の九電の件を世論の誘導として非難することが当然であれば、日本は思想統制でもされているような社会ですね。

⑤ 民意をねつ造しているのか?
 九州電力社員の声として、その個人が肯定しているものであれば、その発言は拒絶されるべきものではありません。しつこいようですが、「地域住民の多く」が「原発関連の事業に従事」しています。九電関係者の声を遮断することこそ、地域の民意をねつ造しているといえます。


 またこの件でトップが辞任すべき、どうこうと騒ぐのもどうなのでしょう。ますます我が国の社長のイメージが「何かあった時に頭を下げる人」「責任を取らされる人」というものになりそうです。

 私は九州電力を肯定しているわけでも否定しているわけでもないのですが、あまりにもこの件の議論が間違った方向に向かいつつ過熱しているような気がしたので、一部のマスコミの九電に対する非難報道に対し記載しました(肯定しているように見えるかもしれませんが、私個人の利害は特にありませんし、もちろん九州電力から肯定内容のブログを書いて!という「依頼」のメールも届いていません(笑))。

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 アダムスミスは「神の見えざる手」という表現で、個々の利益の追求による市場の放任を肯定していますが、こと市場ではなく社会の意思決定という視点では、個々の権利を認めすぎると、社会はうまく機能しないようです。原発、国防などの国の一大事に係る問題こそ、国民の声に任せるのではなく政府が主導で全体調和を図るべく政策を行う必要があります。それができない政府は存在価値がありません。

 ちなみに、このニュースが気になった理由は、イギリスに出張中に、空港や大学でストライキや抗議、デモなどに直面したからです。

  

 空港はこんな感じで、審査待ちに1〜2時間かかりました。またイギリス、スコットランド双方で、年金問題に関し、教員による大規模なデモ抗議が行われていました。国際学会が行われたBathのSpa Universityでも、正門でチラシが配られていました。

 

 "Why we are on strike today"として、学生たちに対し(?)きちんと理由(Why)を説明しているのが、教職員の組合らしいところです(笑)

 主張は大事なのですが、私はデモやストライキには反対です。そのことで関係のない一般の人々が迷惑を被るからです。労働者でなければ、営業妨害として訴えられるに等しい(それ以上?)被害を生み出しているわけです。

 営業妨害は法に訴えて防ぐことができるのに対し、労使交渉が絡むとそれが叶わない、不思議な世界です。逆差別問題と同様に、この制度を逆手に取ることもできるわけです。

 主張の権利を奪えというわけではありませんが、このような暴力もどきというか、営業妨害もどきではなく、他の方法で解決できないものでしょうか。

 労働者は不満があれば辞める権利を有しています。その一方で雇用主側は、解雇の権利がかなり制限されています。実は日本ではきちんと勉強さえして知識武装をすれば、正社員でなくとも、そしてどのような契約書が存在していても、労働者は解雇、契約期間満了に対し訴えれば勝てる要素が多分に存在しています。ここに先述の記載、制度を逆手に取って行動する一部の団体(どこぞとは書きませんが少し行き過ぎた行動を伴う人々の集まり)が蔓延る余地があります(個人的にはこういう人々こそ、その素晴らしい根気と膨大な知識、その応用力をわが日本が抱える外交問題、領土・領海問題に向けていただければと思っています。きっと日本にとって素晴らしい力になりそうな気がします)。

 そもそも現代社会は過剰に労働者の権利を補償しすぎたあまり、社会機能が低下しているのではないかとさえ危惧しています。

 私の研究分野に絡めて言えば、株主の権利においても、日本では一部において過剰な気がします。少数株主権の行使や株主代表訴訟において、企業に対し単に嫌がらせとして行うことも可能だからです。ここに総会屋もどきが蔓延る余地があるわけですが、これも企業の経済活動の低下を招く一因といえます。

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 最後に…、余談ですが冒頭の「依頼」の件、どうせやるなら九州電力は社員だけでなく、なぜ株主にも依頼しなかったのかとさえ思うわけです(推奨ではなく、単なる一アイデアですが)。当然株主もその企業の応援団であり利害関係者ですから。