時間軸で洗練された深み

 ロンドンヒースロー空港から12時間、本日夕方、成田空港へと到着しました。10年ほど前、ニューヨークに行ったときは高々半日弱、寝ていればいいというだけで、これほどきついとは感じませんでしたが、やはり年のせいでしょうか。そして先ほど羽田空港から小松空港を経て、自宅へと戻ってきました。

 バースでの学会発表は無事に終えました(^^。

 いま利用しているPCがなぜかWiFiの電波を拾わない(このNEC-LavieのPCトラブルは2回目、またドライバの再インストールか…)というアクシデントにより、英国ではネットから遮断されていました。

 昨日、ネットカフェに行ってやっとインターネットにアクセスできました。しかし当然、日本語入力が不可であり、取り急ぎアルファベットで入力をした次第です。

 国内だとWiMAXが使えるのですが…。今、メールを確認すると月曜2限のレポートの受付を含め、相当数のメールが入っています。今晩からメールチェック&採点も大変です。

 やはり現地に赴くと文献などでは得られない収穫が多く存在します。書き出すときりがないですが、一言でいうと、金融経済教育においても、アントレプレナーシップ教育においても、英国が量で勝っているのは日本においても十分に認めていたところです。そこで質と言ってしまえば雑駁でニュアンスが正確に伝わらないのですが、あえて近い言葉を使い説明するなら「深み」でしょうか。その深みとは、時間軸で培われた内容の洗練さです。

 同じような感覚を得たのは、研究に関する内容だけではありません。例えば滞在したホテルのサービスや、バースやロンドンの街並みです。長い年月の中で、英国独自の知恵と工夫が加えられたことを感じます。英国ブランドの店ひとつをとっても英国旗を掲げたエクステリア、ストールと呼ばれる店が並ぶ商業集積の風景、そしてアンダーグラウンド(Underground)といわれる地下鉄(英国ではSubwayは「地下道」を指します、米国と逆ですね)の形状から料金体系、さらにほぼ全ての消費に課される付加価値税の20%、それぞれにその明確な意図を汲み取れました。

 我々日本人は、明治維新期より外国の思考を無条件で取り入れる傾向にあるとも言われます。しかし同じ取り入れるにしても、あえて言うならば、日本は米国ではなく英国を目指すべき部分が多いのは確かなようです。