東大寺が借り入れを行い義援金!

 以下、先ほど流れたニュースの引用です。

東大寺、1億借りて義援金に「痛み分かち合う」
 奈良市東大寺は7日、東日本大震災義援金として、1億円を日本赤十字社奈良県支部を通じて被災地に送ると発表した。
 1億円は金融機関から借り入れるという。記者会見した北河原公敬(こうけい)別当は「借り入れは、被災者の痛みや苦しみを分かち合うため」と話した。」
(2011年4月7日15時11分 読売新聞)

 まずはその想いに敬服します。

 さてこの記事に対し、「どうして?」という疑問も沸くと思います。なぜ「借り入れ」なのかということです。コメントを見る限り「借り入れ」というのが、一つのポイントのようですが…。

 東大寺の財務内容はよくわかりませんが(もし開示されていれば一瞬で疑問解決なのですが)、金融機関が貸したということから、十分な担保があったことは事実です。ここで2パターンに分けて考えましょう。定期預金等を取り崩せば、きっと「1億円」のキャッシュは存在したのでしょうが、そうではなかったかもしれないからです。

① 1億円の現金同等物が存在したにもかかわらず、あえて借り入れをした場合
 お寺としては「1億円」+「金利」この総額を出すことになります。確かにお金を出したという意味では「痛みを分かち合う」という表現は間違いではないですが、別当がおっしゃっているような、借り入れ返済の金利分に対してはその「被災者と痛みを分かち合う」という意図はかなり薄れます(「金利」に対してはその表現は適しません)。1億円の定期預金なり、なんなりがもしあったとすれば、この「金利分」は本来支払う必要がなく、金融機関への寄付的な意味を持つからです(平たく言えば「金融機関を儲けさせるだけ」です→これは企業金融でも出てくる預貸比率の問題ですね)。
 つまり東大寺の今回の行動はその「出したお金100%−金利分」が震災支援になっています。この場合分けに限っていうと、金融の視点ではそのような遠まわしな小細工をするなら、「1億円+金利分」を支援してくださいと、いうことになります。
 きっと②のパターンであると思います(思いたいです)。

② 1億円の現金同等物が存在しなかった場合
 負債を負うことで金利分の「痛みを分かち合う」支援を行ったといえます。また被災地の企業が銀行からお金を借り入れることを考えれば、東大寺という信用力から条件の良い金利なのかもしれません(この場合も経済的に貢献をしています)。また今後の定期的な返済を含め、「痛みを分かち合う」という話に納得が出来ます。
 さらに本来は市場に出回らなかったかもしれないお金「1億円」が、市場に出されるわけですから、お金が循環する「信用創造」という意味では大きく経済に貢献しています。

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 いずれにせよ、負債をしてまで(金利分を追加で負担してまで)支援をするという考え、素晴らしいことに間違いはないと思います。返済余力がないと出来ないことですから。

(ただできれば「黙って」支援行為を行うものだとも思います(きっとマスメディアが何らかで情報を素早く得たのでしょう)。「自分は支援した」というのは自ら述べるものではなく、結果的にそれが表面化するものでしょう。東大寺に対して、理想を求めすぎでしょうか?大学とは別に、私の所属する部署単位でも支援を行いますが、どういう形でどうこうしたなどとは、こちらからは表だって述べていないですし…。)

 以上、ふとニュースが目に留まったので、メモ程度に書かせていただきました。

(ちなみに東大寺といえば、東大寺学園高校!奈良県では西大和学園と並んで進学率が高い学校ですね。私は東大寺学園高校を落ちて、洛南高校に行きました…東大寺ならぬ、東寺(教王護国寺)内にある学校です。^^;)