公共財を購入する政府のありがたさ

 ここ最近、毎朝、起きてまずすること、それは「窓から外をみる」、正確には「雪が降っているか見る」、いや「雪が積もっているかみる」、より正確には「道が雪で白くなっているか見る」ことです。

 車で通勤すると10分、しかし電車通勤だと、朝の8時台は特に乗り継ぎが悪く、30分以上かかるため、重要なチェックポイントなのです。

 そして気づいたことがあります。福井市では雪でも意外に車通勤がしやすいということです。というのも、家の前の道は、道路の真ん中から水が噴水のように出てきて雪を溶かしているのです。つまり少々の雪ならば、自動車道ではその水のおかげで雪が解けているので、問題なく通勤できます。京都よりも便利かもしれません(^^

 そのように考えると、「市場の失敗」の問題点と「政府による公共財の購入」のありがたさを感じます。

 経済学では、公共財の存在も「市場の失敗」の原因とされます。公共財の定義はさておき、具体的にどういうことかというと、たとえばある私道を利用する人がAからEの5人いたとします。この5人は頻繁に車を使う人から、休日しか車を使わない人まで様々としましょう。

 もし雪が降った時に「道の雪を溶かしてくれる装置」があれば、この5人はそれぞれその装置にいくら出していいかと考えているかというと、頻繁に車を使う人なら10万円、休日しか使わない人は1万円として、AからEまで、それぞれ10万円、5万円、3万円、1万円、1万円としましょう。つまり合計20万円です。

 この装置が15万円であるならば、5名が出してもいいとする合計額20万円が装置の金額を上回っているはずですので、本来は、この装置の売買は成立し、かつ5名にとっては合計5万円の得をしたことになります(これを「余剰(surplus)」といいます)。

 しかしながらこのような個々のニーズはなかなか顕在化しません。そして個々の出してもいいと考える金額は15万円を下回っていますので、この装置の購入は見送られるわけです。このように本来は購入者にとって合計では余剰が発生するにも関わらず、実際には購入されないような事態は「市場の失敗」のひとつとされます。

 このようなとき政府が「市場の失敗」を是正します。個々のニーズを代表して購入するわけです。まさに今朝、私はこの恩恵に与りました(^−^)

 なお、この装置が8万円であれば、Aさんが購入するでしょう。するとB〜Eさんは、Aさんがこの装置を買ったので、自分たちはタダでこの装置を使えることになります(このことを経済学用語として「タダ乗り(free rider)」といいます)。またこのような「タダ乗り」があちらこちらで存在するので、誰かが買ってくれるだろう、という考えがおこるのです。個々のニーズが顕在化しない原因にもなります。

 今日は朝、この公共財の設置する福井市(?)のありがたみを感じました。家から大学の正門までは雪が解けているので安心です。「誰か学内の道にも、この雪を溶かす装置を設置してくれないかなぁ」とタダ乗りを目論んでいるところです^^。