仕事始めの雑感〜

 韓国、中国に移動とバタバタしている間、年末年始には日本でも様々な話題があったようです。目についたのが、韓国誌が「前原氏が日韓安保を希望した」と報道したこと(日本の外務省は否定)や、大雪に関する話題です(芸能関係の話題も多かったようですが、私にとっては不得意分野で…)。しかしやはり「お節料理の反響の問題」が一番気になります。

 確かに某カフェの写真と実際の違いはひどいものです。そこは擁護しようがないのですが、そのブログや掲示板などの一部の反応のほうが、私はむしろ深刻だと感じました。信販売のビジネスモデルを否定するようなもの(「だからグループ購入はだめ」とか「通販に手を出すものじゃない」など)、果てにはお節料理を注文すること自体を否定するものまであったのですが(「お節は各家庭で作るもの」など)、それらは言いすぎです。

 今回の問題の本質は、某カフェなどの一部の会社(社長だけではなく、従業員も含めた会社全体)の倫理観の欠如が最大の原因です。責任は生産者側にあります。これが通信販売(およびグループ購入サイト)のビジネスモデルの否定につながるわけではありません。店頭販売であれ、購入時にショーウィンドウのサンプルとの違いを、自分が購入する重箱をあけてチェックするわけではなく、同様の事態は起こるわけです。

 ある国では店頭でバッグを購入して、そのバッグの包装のために店員が奥に行き、バッグの代わりに石を入れて渡すとか…。しかしその国ではこのようなトラブルにおいて消費者にも責任があると考えるそうです。

 重要なことは、通信販売は店頭販売とは違い、時間的なリスク、そのためその場で確認ができないリスクが伴うということの認識です。販売者への信頼に対するリスクは店頭販売でも通信販売でも同様です。さらにそのリスクの存在は自分以外の誰かに責任があるというものではなく、自身もしっかり受け止めなければならないということです。

 このようなリスクの教育をきちんと行わない限り、我が国の消費者への過保護体質は変わりません。消費者保護は重要ですが、自立(消費者)と自律(生産者)を促す政策こそ第一です。

 もっとも消費者だけでなく、グループ購入サイトの運営側も、製造販売元選定元のリスクをしっかりと目利きしなければいけませんね。そこは上場企業を扱う証券取引所と同じようなものといえるでしょう。

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 起業教育でもリスクの認識は重要ですが、リスク教育といえば金融教育のほうがより重点的に扱います。

 年末におかげさまで小中学生を対象とする起業教育のテキスト(全13章、100頁)が完成しました。個人的には小中学生にわかりやすくリスクを教えられるような、同シリーズの金融教育バージョンのテキストも作りたいと考えています。

 
 (起業教育のテキストが完成しました!)

 小中学生に起業教育といっても、いきなり「会社をつくるには?」とか「利益とは?」と書き出すのは何の工夫もないため、まずは会社制度の誕生と大航海史について最初の3章を割いています。コロンブスアメリカ大陸を発見し、マゼランが世界一周を成し遂げたこと、ガマのインド航路発見による長距離貿易が発展した話です。第1章だけ読んでも、起業教育のテキストと思う人は少ないかもしれません。第1章のまとめにも、チャレンジやあきらめないことが大切、リスクとリターンの説明しか書いていません…、しかしそこが一番大事です。

 そして実はそれが東インド会社の誕生や永久資本制につながり、出資の権利の売買という証券取引所のルーツになったことや、配当金制度の誕生に関係しているのです。徐々に起業のテキストの本質に結び付けています。

 では、金融教育のテキストの場合、どこから書き始めるかということですが、私ならこの直後のオランダの話から始めます。1630年代のチューリップバブルが、金融教育の原点の一つになると考えています。

 チューリップの球根が一軒家と同じ価値になったとも言われた時代です。歴史上、最初のバブル経済と言われています。しかし1637年2月3日、突如、買い手不在による大暴落を起こし、オランダ市場を大混乱に陥れます。一軒家と同等の価値を持つ球根が、一夜にしてその価値を失うわけです。

 この話だけであれば、ただの事実で終わるのですが、このチューリップバブルこそ、現在の先物市場形成のルーツです。このように言えば、私が金融教育テキストの第1章を17世紀のオランダにしたいという理由がわかっていただけると思います。起業のテキストの話も含め、この時代こそ経済教育、経営学教育の原点だと思っています。

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 昔話ついでに…。私はかつて医学部受験に失敗し、なぜか気まぐれで受けた経営学部に進んだものの、大学1〜2年生時代は物理学とか数学とかの一般教養科目にのみ取り組んで、経営学の各基礎論には見向きもしませんでした。その時代は講師のアルバイトに明け暮れていました。

 いくつかの偶然の重なりと人との出会いがあり、そして1987年に作られた「ウォール街」という映画を見た大学2年のある日、金融資本市場に興味を持ち、猛烈に金融の勉強を始めました。そして大学4年のとき、ある証券会社から内定をいただいて就職寸前まで行っています。某会社の役員面接では「いまどき証券業界にそれだけの熱意と興味をもっている学生は珍しい」と言われ歓迎していただいたり、ある最大手証券のリクルーターには逆に敬遠されましたw 結局、金融のほうに興味を持ちすぎたあまり、大学院に進む道を選択したのですが、私にとって最初のトリガー(きっかけ)となったのはこの映画です。(そして制作から約20年後に続編が誕生しました。日本でも今月末から続編の上映が始まるようです。)この映画のインパクトはまさにリスクの怖さでした。

 金融=バブルという悪いイメージを持つ人が少なくないと思います(金融が資本主義の根幹であるという重要な知識を日本の教育で徹底していないことは非常にまずいのですが)。バブル経済というのは金融が生み出すものの一つで、その怖さを知らないことこそ、問題です。その結果、人は欲と「儲かる」という甘言に乗せられて、無謀なギャンブルに手を出してしまうものです。本当に強い人間は暴力に訴えないのと同様に、リスクをしっかりと知ると無謀なことは避けるでしょう。このことはとても重要です。その結果、無茶な投機が健全な投資にかわり、フェアーでグローバルな市場の形成となり、日本の金融市場、日本経済も再び正常な活気を取り戻します。

 そもそも投資などしなければいいとか、極論を言う人がいるのですが、それは違います。資本主義経済の否定になってしまいます(革命を起こすなら別ですが…)。当たり前のことですが、資本市場による金融、銀行による信用創造なくして、資本主義は成り立ちません。

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 時々、あのとき証券会社(現在は銀行系のU証券)に就職していたらどういう人生を歩んでいただろうと考えます。人生の岐路ってあると思うのですが、私はいつも前向きに考えています。今年、この涼しい地に来たのも、昨年の3つの選択肢の中の1つでした。前職でしばらく研究を続けるか、同時期に決定した暖かい台湾のある国立大学の日本経済担当教員になるか、その1週間後に決まった当地かです。海外でアジア各地の経済、および日系企業の戦略行動研究を行うのもとても魅力だったのですが、今の起業教育、金融経済教育の研究が続けられてよかったという意味において、きっと最良の選択だったと考えています。

 年初だからといって、いらない話をしすぎたかも(笑)