視点が違う!?環境が破壊されることではなく、環境破壊の対価を支払わないことが問題!^^

 いきなりですが、環境問題について…。環境破壊は多くの人が問題と感じています。では何が問題なのでしょうか。問題として、温室効果ガスの発生による地球温暖化や公害などが挙げられます。しかし経済学的にはもうひとつの見方があります。それは環境が破壊されることではなく、環境破壊の対価を支払わないことです。

 説明すると長くなるので、結論だけ書くと、本来は環境汚染に対する費用を支払わなければならないにもかかわらず、その費用を考えないことから「企業が考える」生産の費用が本来の数値より過少になります。その結果、需要と供給の均衡が過大生産のほうにずれ、環境汚染を本来よりも過剰に行ってしまうという理屈になるのです。

(くどく言うと、企業が考える生産費用は10だとすれば、本来は環境破壊の対価として+5なり必要で15の費用がかかっているはず。企業が認識する費用が低いと市場価格も低くなり、価格が安ければ需要も増えて、生産量が増えるということです。しかし本当は環境破壊によって多くの誰かが被害を受けているにもかかわらず、その対価としての費用は無視されているわけです。もし費用が10ではなく、本来の15であれば、価格は上昇し、当然本来の需要は減少します。経済学ではこのようなことを外部性の発生といい、市場の失敗として扱います。)

 ちなみに過大生産になると、本来の均衡点における社会的余剰(消費者と生産者にとっての利益と考えてください。)が減少します。

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 で、何が言いたいのかというと、先日の阿久根市の問題で、この視点の違いに関して、ちょっと気になったことがあるのです。私はどっちの味方ということでもないのですが、市長が市職員の個々の給与を公開したことについて、市民の意見のVTRでは「市役所職員の給与があんなに高いとは思わなかった。」とみなさんお怒りです。市民の平均所得の2倍以上だからという理屈なのですが、「それだけの理由」なら単なる妬みじゃないでしょうか。

 市職員の給与が高いならば、多くの人がその高い給与を目的として市職員を目指します。その結果、優秀な人材が市役所に集まり、行政サービスがより良いものになればいいわけです。ここできっちりと述べなければいけなかった本当の理屈は、市の財政状態が破綻しかけているにもかかわらず、人件費の調整を行ってこなかった怠慢さとモラル・ハザードです。このように言わないと、高所得を目指して(おそらく)高い競争率を突破した、優秀な市職員の方に失礼じゃないのかと…。

 マスコミの報道の仕方が問題だったのか、たまたまインタビューを受けた市民の方の視点が違ったのか、そこはわかりませんが、間違った認識だけはフォローしておかないと、責任のない市職員の方にまで被害が及びます。「給料が高いから、(それだけで)けしからん」みたいな社会が崩壊するのは、社会主義の歴史が証明しています。(そもそも筋が通りませんよね。「のび太の癖に生意気だ〜。」というジャイアンのほうがまだわかります(笑)。)頑張った人間が報われない社会になってしまったら大変です。少なくとも足の引っ張り合いをするような社会にだけはなってほしくないなぁと思います。

 もちろん破綻しかけの財政を立て直すために、人件費を見直すことを否定するものではありません

(ちなみに、環境破壊の問題のコストに関する解決方法としては、イギリスの経済学者アーサー・セシル・ピグー(Arthur Cecil Pigou,1877年−1959年)がピグー税(Pigovian tax)を提唱しています。)

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 先日の産学連携で何かできないかなと思っていたカレーの件、先週末にうちの本部長にお話し、昨日、副本部長にも相談しました。するとなんと前に進みそうないい展開になってきました!徐々に方向付けをしていこうと思います^^