郷土愛が薄れてきた?それとも住めば都?

 事業仕分けが最近になり再び話題になっています。政府による事業が採算性や効率性の面で問題のように今更言っていますが、「民ができないことをやる」政府事業に関してはそんなことは百も承知なわけです。あえて悪いというならば…、経済学の基礎を少しでもかじった人なら、「独占」を学んだ時に、政府の事業は競争や利益確保というインセンティブが働かないことは既習です。

 また有識者の中にも、政府事業が独占事業だから悪いと非難する人がいます。素人的には思わず「うん」と言ってしまいそうですが、そこはまったく筋が違うのです。

 確かに政府事業の多くは独占事業です。独占は一律に悪いように言われます。しかし経済学でいう独占が問題となる理由は、企業の利潤最大化行動仮説に従うと、独占企業の価格と供給量が完全自由競争における需給の均衡点と比較して高めで少なめという数値が導き出され、その結果、社会的損失が発生するという理屈からなのです。(なんのこっちゃ?という人は私の授業を受けてみて!^^)

 政府による独占事業は、利潤最大化行動に従わないということを最初に述べました。とすれば、利潤最大化行動を前提とした独占に対する批判とは同様に話してはいけないわけです。

 事業仕分け自体に関して言うならば、ひとつだけ。日本はOECD加盟国中、教育に対するGDP比公費支出が最下位です。これは客観的事実です。それでも教育予算を削減しますか?重複内容が多い?いいんじゃないでしょうか。セーフティネット的に何重にも行うことも必要です。

 教育に対する成果は数十年後です。確かに今の政権は、数十年後より、次の選挙のほうが大事なのかもしれません。(というか、分裂と統合を繰り返す政党に、長期的視点などあるのか?)しかしそのつけを将来に回すのだけはやめてほしいと思います。そのときはいつの政権の誰がどういうことをやったのか、今の事業仕分け以上にきちんと追求し、個人個人に責任をとってもらいましょう。

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 昨日は起業教育研究の第13回研究会で京都にいました。気のせいか、上京に関して最近は「おのぼりさん」のような状態になっています。(京都で生まれ育った「都人(みやこびと)」としての意識が薄れてきた?w)

 帰りのサンダーバードを待つ間、伊勢丹をぶらぶらし、観光客に交じってたんまりと買い物をして、福井に戻ります。ちなみになぜか京都駅伊勢丹に東京風月堂のレーズンサンドが売っていたので、これも購入。

 

 福井駅に着き、この光景を見るとホッとする、今日この頃。

 

 ホッとする気持ちを振り返ると、この地にも慣れてきたんだなぁと思います。

 先日、地元の方に、「福井に来てからというもの、休日にやることがなく困っているんですよ。福井の方は休日に何をされているのでしょう?」と話していると、「福井に住んでいて関西に引っ越しても、『やることがない』と感じるそうですよ。」とおっしゃいました。価値観の違いというか、それぞれが生まれ育った各自のスタイルというものがあるのだなと感じました。

 この話を聞いていて、「いずれは慣れるのだろうな」とは思っていたものの、こんなに早く、福井駅に着いて「ホッ」とする日が来るとは(笑)

 そういえば、私はこのブログの前にも、複数のSNS系のブログを書いていたのですが、5年ほど前に沖縄の人やモノに関する不思議さをシリーズで延々と書き連ねました。すると地元の人から反論がきました。そのときは「なんで、それで普通なんよ?」と思いましたが、いまから考えるとそれがその人のスタイルだったんだなと納得です(^^;