起業家に人生のギャンブルをさせる日本の法政策

 寒暖のある地域で育つ蕎麦が美味しいそうです。毎朝、通勤時に車の中でFM放送を流しているのですが、福井の南西の海のほうでは、このような理由から美味しい蕎麦の実が作れるとのこと、今朝の放送で言っていました。


福井市内西部の蕎麦畑です。10月11日撮影。)

 恥ずかしながら、蕎麦を「蕎麦の実」から作るのを知ったのは大学生のころでした(蕎麦が大好物ながら、それまでは蕎麦の生産過程はまったくの空白状態で食していました)。そして蕎麦の実そのものを初めて食べたのは、2年前の島根県松江市だったと記憶しています。ある会で日本料理屋(ご当地JCの先輩が経営されているお店)にお邪魔し、その食事の最後のほうに「お茶ずけのようなもの」が出てきました。「麦?」と思って食べたのが、実のままの蕎麦、つまり「蕎麦の実お茶ずけ」だったんです。

 実物をみて、「これが蕎麦の実か」と感心したと同時に、ごく身近なものですら何も知らない、目の前のものの誕生や生産過程が空白となっている自分の知識に恐ろしさを感じたことがあります。そしてもう一度しっかりと様々なものを勉強しようとも感じました。

 「無知の上に形成される感情論」の話ではないですが知らないということほどリスクであることはありません。リスクとは一般的には悪いことのように思われますが、正確には不確実なことをリスクといいます。つまりいい結果にも悪い結果にもなります。すると期待値は同じじゃないかという人もいるのですが、確かに期待値は同じでも、私は「リスクが高まる」=「投機性が高まる」という視点から、きわめてネガティブなものだと考えています。

 このような考えから、今の研究にも取り組んでいます。スタートアップ(和製英語でいう「ベンチャービジネス」)創出のために、その助成策(たとえばスタートアップ融資やインキュベーションなど)が数多くあり、またそのための金融インフラの整備も、もう十分すぎると思っています。実際に国際的にもこのような法政策的な面で日本が遅れているということはありません。しかしながら開業率の低迷が続いています。

 その原因は多岐にわたりますが、その一つは私が以前から述べていること、そもそも日本で起業したいと思えないのではないかということです。総合的な期待値でいえば、起業などせず大企業でのほほんと生涯を過ごすほうがいいという考え方もあるのかもしれません。でももう一つ起業教育に関連して、別の理由として思うことがあるのです。

 「学校教育課程における起業教育の欠如」、これってまさに大人になった私たちにとっては「起業は知らないこと」になってしまうんです。つまり現在の十分なベンチャービジネス助成などの法政策は、知らないことにチャレンジせよというかなり無謀なものです。日本は失敗したら再起ができない社会、これでは起業家に「人生のギャンブルをせよ」というようなものです。これこそ究極のギャンブルです。

 起業に対する期待値云々の前に、人生のギャンブル、「国が法政策で少し補助したるさかいやってみーな」と言われて、みなさんは何も知らないことに対し、自分の人生をかけたギャンブルに挑戦しようと思いますか?

 起業とは何か、そのための方法や知識はもちろん、チャレンジした後にどのような将来があるのか、自分のチャレンジにどのような意義があるのか、世の中に与えるインパクトは何なのか、このようなことを知って初めて、「起業人生はギャンブルなり」から「起業を選択肢として考えよう」になるのです。ゆとり教育で減らした時間数だけでいいです。起業教育を追加しましょう(^^←減らされた時間数っていえば、実のところ十分すぎるぐらいの時間があります。

(注) 日本の法政策を否定するものではありません。その前に教育政策を整えましょうという主張です。

(追) 私の今までのヒアリング結果によると、多くの起業家が、親せきや知人が事業をしていたり、事業家から多大な影響を受けています。簡単にいってしまうと、すべからくすべての国民が起業という内容を知れば、実はみんなやってみようかと考えるものなのかもしれません^^。

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 昨日は第10回京都大学起業教育研究プロジェクトの日でした。近々、プレスリリースをかけるということで、その打ち合わせをしていましたが、発表という段になると、決めなければいけないことが、数多く出てきて、最近ちょっといっぱいいっぱいの状態です(^^;;