無知の上に形成される感情論:「考えようとした。」→「知識欠如、論理的に考えられず」→「ぬぅおぉぉ〜!(暴動)」

 お隣の大陸の国で反日暴動が起こっているそうです。日本料理店を破壊するとか、日本国旗を燃やすとかの行動…、暴動が起こっているその国の有識者はどのように感じているのでしょうか。私なら、理路整然とした議論もなしに、自国の人間がそのような野蛮な行為に走っていれば、同じ国民として恥ずかしくて仕方がありません。このような暴動には何らかの政治的意図が内在すると、とある報道では言っていますが、それならなおさら勘弁です。暴力に訴えるのではなく、せめて自らの主張を掲げてデモ行進とか、もう少し大人な行動をひとつ…。

 さて、「起業家教育」を行う際に、多くの方がイメージされるのは、1.お金の稼ぎ方、2.会社の作り方やマーケティング、3.労務管理などのマネジメント、だと思います。テキストの内容もこのようなものをイメージされる方が多いようです。

 実際に、これらの知識はもちろん不要とはいいません。2.3.の経営学的な知識は、確かに重要です。しかし何事にも段階というものがあり、「起業家をつくる教育」という視点でも、(広く起業環境を育む教育と同様に)やはりチャレンジする心、あきらめない精神が重要だと思っています。

 そこで、テキストには各地域の起業家の起業に至るエピソード、苦労を盛り込んでいます。さらに、もうひとつ、伝えたいこととして、研究開発やアイデアの重要さも入れています。先日のブログ「ベンチャーの語源はアドベンチャー!えっ、何のアドベンチャー?」で触れましたが、一つの困難があり、その困難を克服するための発見が、ヨーロッパ世界の各国の勢力地図を塗り替えることに少なからず関係しました。その出来事も、ひとつの教材としています。経営だけでなく、人生は、量で勝負するだけではなく、アイデアで逆転が可能なこと、これはわかっていてもなかなか実践に移せないものです。ですから多くの具体例で、無意識的になるまで、そういう意識を会得することが必要です。

 原発の必要性の賛否の意見はそれぞれ否定しませんが、一昨日に見学にいった「高速増殖原型炉もんじゅ」についても、プルトニウム核分裂しそこで発生する熱、および燃やした以上の燃料を生み出す増殖という仕組みは、やはりイノベーションです。そしてエネルギー資源が将来枯渇する可能性を冷静に計算し、またその高効率性を考えると、一概に否定するという雑駁な意見一辺倒にもなれないことに気づきます。

 シュンペーターが述べた「創造的破壊」という言葉は、非効率な旧態依然としたものは、常に新しい効率的なものの創造にとってかわるということを指します。起業家教育を含む起業教育でも、このようなイノベーションの存在をわかりやすい例で説明できればと思っています。私は効率的なものが絶対だとは思いませんが、それを知ったうえでないと、効率性を取ることがいいことかどうかの議論の土俵にすら上がれません。

 無知の上に形成された意見や考えというのは、感情論でしかなく、結局、主張の強引な押しつけになります。尖閣諸島の問題で暴動を起こす隣国がまさにこの例ですね。「しっかりと考えようとした。」→「知識が欠如しており(事実情報が操作されており)、論理的に考えられない」→「ぬぅおぉぉ〜!(暴動)」という感じなのでしょうか。

 起業教育、これは日本人全員が胸を張って生きていける教育にもなればいいなぁと、ここ最近のお隣の国をみて思いました。(特に欧米から見れば、日本も大陸の国も同じ黄色人種として一括りにされることがあるので、そういう意味でも、アジア全体として民度を上げていきましょう^^;;)