Is your common sense right? −判断基準からして間違っていることも…


(今日のお昼です。)

 以前から前を通りつつ気になっていた季節料理「くろ川」さん。外観からいい雰囲気を出していて、今まで入るのをためらっていたのですが、本日のお昼に入ってみました。価格も手ごろで、内容もお魚派の私にはうってつけでした。今ほどサイトを調べると、
 「主人が毎日市場に出かけ、その日揚がった厳選した旬の魚を仕入れ満足いただけるお料理を提供します。」(ぐるなびサイト「くろ川」のページより)
とのことです。ここのところ改めて大学周りのお店を回っているのですが、結構、いいお店があることを再認識しています。

 このような少しいい雰囲気のお店を見ると、「敷居が高い」という言葉の誤用を思い出します。「いい雰囲気」とか「価格が高そう」という理由から「行きにくい」という使い方をすると誤用です。本来の意味は「後ろめたいことがある」から「行きにくい」というのが「敷居が高い」という言葉の正しい使い方とされます。

 ただ日本語の使い方が正しい、間違いというのは、基準をどこに置くかによると思います。「多くの日本人がそういう使い方をすれば正しい」という考えもないわけではありません。よって正しくは「それ、昔の用法とは異なっているよ!」が正解なのでしょうか。そんなことを学生・生徒時代に学校で言っていたから、画一的な採点基準からは外れ、試験ではどんどん減点されていたのですが…。

 しかし世の中、客観的に見ると、とある人々の押しつけが横行していませんか。例えば日本における現代史教育は言うまでもありませんが、世界の歴史は白人目線で語られることが多いようです。東南アジア、アフリカ史は特にそのように感じます。見方だけではありません。扱う量についてもです。どの地域も平等に同じだけ時間が流れています。もし植民地時代、南半球と北半球の勢力が逆ならば、宗教戦争に明け暮れたヨーロッパ史は「野蛮」だの「未開」だのと、散々な書きようがされ、扱われる量もそこだけにフォーカスされたのかもしれません。

 このような本質的な見方をすると、いま話題の集団的自衛権の賛否も、もう少しましなレベルで議論できるでしょう。

 しろたんカレンダーも6月になりました。しろたんを見ていると平和でノホホンとしていて癒されますね!

    
 (しろたんに浮き輪がなぜ必要なのか…、う〜ん、謎です…)