Is "Law" really able to protect peace from irrational confusion? - 軍による無血クーデターがタイの治安と安全を確保


(ホテルの部屋より隅田川の夜景)

 研究者(少なくとも社会科学系)にとってストレスの一つになるとき、それは調べたいことがあるときに、その資料、文献がすぐに手に入らないときです。いくら高度情報社会といえども、専門的な内容に関する最新の動向は、インターネットでは現状まだまだ追いつきません。

 しかし国会図書館には感動します。「国産モノ」に関していえば、思わず手を合わせてしまうものから活きのいい素材までほぼすべての文献を揃えており、そこに情報技術が加わって、検索、指定、依頼の手順で30分以内に目的の資料を出していただけます。ただ地方にいるものにとっては、いつでも来ることができるわけではないので、できれば夜7時までという時間をもう少し長くしていただけると助かります。すると何か都内で用務をしたのちに、寄ることができます(調べ物だけでやってきても確かに価値はあるのですが)。

    
 (昨日は福岡から東京に移動し、国会図書館に直行。今日はこのあとすぐ近くで用務があり、その前に調べ物。)
    
 (左/昨日は集中豪雨に合い駅で足止め、目的地は目の前なのに…。雨が上がった直後の写真。右/今日はいい天気!)

 国会図書館の食堂も喫茶室も、食事の量が多すぎるのが少々難点です。食べきるとお腹がいっぱいになり、眠くなります(笑)。

 
 (国会図書館には喫茶室も食堂もあります。喫茶室でカツカレーのセット(620円+270円=890円)。この付近のランチでこの価格は価値があります。)

    
 (こちらは福岡で、夜の懇親会時に頂いたイカと、翌朝のホテルのめんたいこ朝食です。)

 さて、1月にタイ王国について「Law is meant to protect peace from irrational confusion. - 法自体を否定する事態の懸念」と題し「『まさか』『そんなことが起こるはずがない』と思うのが日本人ですが、実際、この国は2006年にクーデターで政権が変わってまだ10年も経っていないわけです。」とこのブログに書きました(→2014年1月12日のブログ)。また「もちろん軍によるクーデターが起こる可能性は低く、実際には赤と黄の両陣営、ぎりぎりまでの駆け引きが続くのかもしれません。軍の動きは単なる懸念で済むのかもしれません。」とも思っていたのですが、両社ともぎりぎりまで粘りすぎて結局譲らず、「それならば」と軍が「仕方なく?」動くことになったようです。

 ちなみにタイでは、1957、1971、1976、1991、2006年と軍によるクーデターが起こっています。

 メディアには、民主主義の否定による国際的な非難は免れないというコメントも載せられています。しかし「あれ?」って思いません?民主主義絶対の考えは真理とは程遠く、あくまでもその制度を採用している国の偏った考え方です。例えば今回のタイのように、民主主義(の制度的欠陥)がひとつの混乱原因を生み出し、長年続く対立となり、来るところまで来てしまうこともあるわけです。民主主義によりタイの社会課題が解決しましたか?むしろ民主主義というスキーム(およびその利用による利権確保)がその課題を引き起こしていました。

 少なくとも今後も局所的に死傷者が出ることが想定された事態を避けたという点で、今回の軍によるクーデターという決断が最良であったのかもしれません。バンコクは夜の外出禁止を除けば、多くの点で、今日も普段通りの日常のようです。外国人によるツアーも中止されていないとのことです。しかし一方で、軍が政治のプロフェッショナルかどうかという点では、そこは今後を見守る必要があります。

 法治国家に住んでいると、法の順守が前提であることは間違いありません。民主主義を採用している国に住む限り、そこに欠陥が存在しても、それに従うのが原則です。しかし法や数の論理で解決できないこともあり、そこを新たな選択肢で解決に出たというタイの事例は、間違っている可能性のある思い込みをリセットし、日常のバランス感覚を保つうえで貴重な出来事です。

 このまま対立やデモが徐々に鎮静化していけば、結果としてこのたびの軍の動きはタイにとって良い出来事となりますね。